夏はクール、クールに冷水出し紅茶

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 ここ知床の街斜里も、10年ぶりぐらいに7月半ばで連日30度越えの日が続いて、もう仕事なんかしてられませ―ん。エアコンの無い事務所は、現在37度。パソコンって熱いねー。

 それはさておき、紅茶好きのオレ様だが、暑い夏でもやはり熱いお茶が大好きだが、時には冷たい紅茶を作るのだ。といって、喫茶店で出てくるようなアイスティーは、不味いので嫌いだ。失敗なんかしちゃって、クリームダウンなんかすると見た目も不味そう。

 そんな訳で、冷水出しの紅茶をお勧めする。冷水でじっくりと抽出した紅茶は、エグミや苦味が少なくて、とってもスッキリとした味わいで、夏の暑い時には、ごくごくと飲んでしまう美味しさ。
 手軽で、しかも美味しく冷たい紅茶を入れる方法を書いてみる。でも時間がかかる。でもすごく簡単なので早速試してみてね。

★用意する物
 ・500ccとか1000ccとか、適度な容量の広口瓶。
 ・茶葉
 ・水
用意する物はたったこれだけ。

★では手順。
①広口瓶に茶葉を入れる。茶葉の量は水100ccに対して1.2g位。1000ccなら12gって事だな。
②広口瓶に水を注ぐ。注ぐ水は温めたお湯じゃなくて、あくまでも冷水。水道の水で構わないけど、可能なら浄水器を通した水で出す方がもちろんより美味しくなる。
③そのまま冷蔵庫で、半日ほど放ったらかしにする。これで準備完了。

 上の写真は、事情があってペットボトルで作った時の冷水紅茶。水を入れた直後なので、茶葉が上に浮かんでいますです。茶葉はマカイバリのアールグレイ茶

 あとは半日以上経ったら、そのまま飲むなり、茶こしで別容器に注いで茶葉を取り除くなり、好きにすればいい。オレの場合面倒くさいのとケチ臭いので、茶葉はそのままで1度飲んで、その後再度水を足して2煎目を頂く。

オレからのアドバイス【蛇足】
・なぜ広口瓶かと言うと、あとで洗浄する時にこの方が楽だから。だからペットボトルでも構わない。
・茶葉は高級茶葉で出した方が、香り高くスッキリとした飲み口の、断然美味しい紅茶ができる。これまでにもこのブログで良く取り上げた、マカイバリみたいなダージリン茶や、台湾の高山茶や青茶がお薦め。もちろんこれは緑茶だって良い。
 それにしても残念なのは、ダージリン地方の騒乱。分離独立をもとめる人達がゼネストを行っているので、物流が止まってしまっているらしい。だから、もうそろそろ今年のセカンドフラッシュの出荷が始まっても良い頃だと思うのだが、未だに日本には届かないらしい。お茶は平和だから飲めるものなのです。

 昨日とある会合のため、事務局のオレはペットボトルの紅茶や緑茶を用意して、その会合で飲んでつくづく思った。「何だ、このクソ不味いお茶は!!」。オレが飲んだのは、某メーカーの「午前だか深夜だかの紅茶」の無糖って奴。誰だか知らないけど、偉そうな人が監修しているそうだが、30年目は香りで進化とかほざいているが、これは茶じゃなくて香料の香だろうよ。こんなクソ不味い紅茶を飲む人口が増えたからって、紅茶人口が増えると本当にあのお偉い人は思っているのかね? 儲ける事だけ考えているのが透けて見える。

 こんな経験をするたびに、神田の高野さんの事を思いだす。高野さんはつくづくエライなぁ、本物の紅茶好きはやはり違うなぁ、と感心してしまう。高野さんみたいな本物は、愛が感じられるよ。

 と、その「夜明けの紅茶」を飲んで憤ったので、こんな記事を書いて見たのだ。あんなクソ不味く高っかいものを買わないで、自分で作ってみれば1万倍美味しい紅茶・お茶が飲める。


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# by kararachan | 2017-07-13 16:25 | 紅茶 | Trackback | Comments(0)

プカプカとギャザリング

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 好きと嫌いはベクトルが逆なだけで、同じエネルギーを持っているのかも知れない。昔嫌いだったものが、ある日ふとした拍子で好きになるなんて言うことも間々ある。その逆もまたありで、昔大好きだったThe WhoやPatti Smithなんて、今じゃ全く聞こうとも思わない。

 ところで「プカプカ」という歌を知っているだろうか? いろいろな人がカバーして歌っている曲で、自由奔放な女に振り回される気のいい男の歌だ。オレはこの歌が、どうも嫌いだった。理由は特にないが、曲調とか、変に気だるげな感じが好きになれず、長い間やな歌の一つだった。何が嫌だって、あの歌いだし「おれのあんこは〜♫」っていうところから気にくわない。なんだか女性器の隠語を彷彿させるようなその言葉が嫌だったが、あるときその「あんこ」というのが「あの娘」の事だと知った。それは大西ユカリと新世界がカバーしたプカプカを聞いた時のこと。(残念ながら大西ユカリバージョンのプカプカはyoutubeには見つからなかった)

 Discover URCと云うコンピレーションアルバムがあり、大西ユカリの歌唱がその中に収録されていた。URCというのは昔大阪に存在したマイナーレーベルで、いわゆるアングラフォーク(いまならロックと云われるだろう、過激なグループが多く所属)の歌ばかり出していた所。そのレーベルのカルトな歌をメジャーアーティストのカバーによって、日の目を見せてあげたいと言う企画アルバム。そのアルバムの歌詞カードを見ていて「あの娘」と歌っているのに気がついた。それまでは何だか春歌みたいで嫌だなと思っていたのが、あっさり瓦解。よく読めば歌の内容も自由奔放な女に振り回される男の悲哀で面白い。それからこの歌が好きになった。今じゃ、会社の飲み会なんかでカラオケで歌ってしまうくらい(会社の人間とカラオケに行くと、英語の歌なんか歌えないので、せめて日本語の歌を歌おうと思うと、この手の歌になってしまう。趣味の合わない人達と行くカラオケは制約が多くてつまらないねー)

 実はオレ、このプカプカの作者西岡恭蔵さんがギター一本で歌うプカプカを目の前で聞いた事がある。それが、この歌との出会いだった。たぶん1995か1996年の1月とか2月のまだ寒い時だったと思う。

 話はちょっと変わって、オレの大学はお茶の水だったことから、東京で一番馴染のある、唯一しっくり来る町がお茶の水。東京には他に好きだと言える場所はない。もともと本も音楽も大好きなオレとしては、お茶の水界隈が好きにならないわけが無い。本屋とレコード屋だらけの町お茶の水。卒業後も休日に出かけるとなると、自然と足はお茶の水に向いていた。学生街のあの、のんびりとした感じがオレは好きだ。

 そんなお茶の水でよく通っていたお店の一つがGAIA。知る人ぞ知るエコロジーショップで、自然食品、自然音楽?、エコロジー関連の書籍など、オレが好きなものいっぱいのお店。こういうお店にはそういう人種が集るので、そういう情報も非常に得やすい。お店に置いてあるチラシは要チェック。いろんな人がいろんなところで面白いイベントを企画していた。今じゃネットでどんどん拡散する時代だけれども、20年以上前はチラシが非常に重要だったのだよ。

 そのGAIAで「ギャザリング」というなにやら妖しげなイベントの告知のチラシを見つけた。埼玉県の奥地、日高市の巾着田と云われる場所でなにやら行われるという。ライブあり、出店あり、セイクレッドランありの、行ってみなければ何をするかわからないイベントだった。オレはそのイベントに寝袋一つ持ってはるばる日高市まで出かけたわけだよ。

 巾着田と云われる曲がりくねった河原が、そのギャザリングの会場。オレが着いた時にはすでに多くの若者で賑わっていた。っていうか、オレもその頃は若者だったなぁ。あちこちでみんなが協力して何かを作ったり、立てたりしている。中心になって動いているのは、吉田ケンゴという、ドレッドヘアと言うか、ライオン丸がパーマを失敗したような物凄い髪形のあんちゃん。(この後も、ひょうたんでカリンバを作るワークショップ等で彼とは顔を合わせた。最近はあちこちで見かけるけど、たぶん瓢箪スピーカーは彼の考案物だと思う)オレも見知らぬ人達と協力して、一張り15人は軽く寝泊まりできるティピ建造を手伝ったよ。

 会場内には何か食べ物を売っている人達や、Tシャツ、その他手製の小物やら、みんな思い思いの作品を持ち寄って売っていて、それを見る、そしておしゃべりするのも楽しかった。なんせ、みんなGAIAみたいなお店に引きつけられる人達ばかりだから。夜はそれぞれテントなり、皆で作ったティピでごろ寝。遅くまでたき火を囲んでおしゃべりに盛り上がる人もいるし、人それぞれ。人里離れたこんなところなので、夜空が美しく、きっと遠いご先祖様のみた夜空もこんなのだったに違いない。都会のサラリーマン生活が遠くに感じる、なんだか原始人にでもなったような魂の自由を感じた一時だったなぁ。

 ギャザリングというイベントに参加したのがこれが初めてなんだけども、それぞれ参加者のアイディア次第で何でもありの楽しい集会であった。この時のギャザリングは1週間ほどやっていて、メインは一番多くの人が集る土日だったようで、日曜日は午前中から特設ステージでライブが行われていた。レゲエやフォークの様なゆるい音楽が多かったと思うがどんな人が歌っていたかは一人を除いて全く覚えていない。

 その一人と言うのが、中年のおじさんで、なんだか70年代フォークの生き残りのような見知らぬおじさん。彼を見てどうやってその年まで生き抜いたんだろうと不思議に思ったよ。アマチュアミュージシャンにしては、ステージ慣れして、演奏も歌も腰が据わっているとちょっと感心していた。そのおじさんはギター1本で、いろいろな歌を歌っていたが、その曲の1つがプカプカだった。
 MCでは、「これは今ではいろいろな人が歌っていますが、私が若い頃に作った歌です」みたいなことを云っている。全然知らない人だったけれども、それなりに有名人なんだなとその時初めて知った。その人は皆から象さんと呼ばれていた。後になって知るが、そのおじさんこそプカプカの作者・西岡恭蔵さんだったのだ。そうとも知らずに、こんな山奥の野外ステージの投げ銭ライブで、本人が歌うプカプカを聴いていたのだ。その時はやはり嫌な歌だなぁと思っていたけれどもw。

西岡恭蔵 / プカプカ
これを見ると、見た目は記憶と似ているんだけども、声が違う気がする。オレが見たのはほんとうに西岡恭蔵さんだったのかなぁ? 記憶違いか、人違いか? まあ、ここまで書いたんだから、このまま投稿しちゃえ。

 それから数年後の1999年、西岡恭蔵さんは奥さんの三回忌の前日に自ら命を絶ってしまう。もう彼の歌うプカプカは聞けない訳だ。知らなかったとは言え、貴重なものを見たものだと今になって思う。

 こないだのメーメーStockに参加していて、実はこの時のギャザリングを思い出していた。人が楽しみのためにだけ集まり、何かを作り、おしゃべりし、歌を共有する。これって、人間がもともと持っていた生活なんじゃないかな。人はただ稼ぐためだけに1日を生きているんじゃない。楽しむため、歌うために生きているんじゃないのかな。だから音楽を奏でると言うのは、とても神聖な行為なのだと思う。


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# by kararachan | 2017-07-08 11:55 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

暑い時こそ、暑苦しいサウンドを

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 熱いからって、クールなサウンドが聞きたくなる訳じゃない。暑い夏だからこそ、クソ熱い音が聞きたくなるのだ。
 そんな訳で、暑い夏にこそ聞きたい暑苦しー曲をちょっと、選んでみよう。暑い夏をより熱くだ。ハハハ。といって、内地の人に言わせたら快適な気温って云われてしまいそうだが。(只今の気温25度。あ、会社の室内は32度になっているぞ!)


suffragette city / Steve Jones
 まずは軽く、この曲から。ウーマンリブの恐ろしいおばちゃんばっかりの街が想像できて、ああ、暑苦しい。ウーマンリブで、女性を労働者に組み入れて労働人口の増加、人間の奴隷化。伝統が破壊された根無し草の社会……。ロックフェラーの進める男女平等と云う名の国民はみな平等奴隷化社会……。ああ、こんな事を考えていたらなお暑苦しくなってきた。
 ここはあえてDavid BowieじゃなくてSteve Jonesのバージョンを選んでみた。ギターの粘っこさも、熱さをいや増す。


Low Self Opinion / Rollins Band
 曲の出だしからしてもう、勘弁してくれと言う感じの暑苦しさ。ボディービルで鍛え抜かれた暑苦しい体の持ち主が、Henry Rollins。全身が入れ墨で覆われてより暑苦しい。重苦しいサウンドで、歌詞も重々しくて、意味なく心の底から熱唱するRollins Band。ヘビメタ、ヘビーロックってなんでこんなに暑苦しいんだろう?


Fire Ball / Deep Purple
もう、曲名からして暑苦しい。冒頭のSEは冷蔵庫が稼働し始めた音だそうだ。きっと業務用の巨大な冷蔵庫の音だろう。Give me cold air!


Pargatory /Iron Maiden
 Pargatoryとは、この世と地獄の間にある煉獄のことだそうだ。地獄に比べれば多少涼しそうだぞ。といって、あくまでも比べての話だが。


Heat wave / Martha & the Vandellas
まさに今がこれ。暑苦しいのならThe JamとかThe Whoとかあるんだけども、今日のところはこれで許してやる。ああ、こんな曲を演奏するバンドをやりたい。


1970 / Iggy and the Stooges
 ああ、ギターのイントロが響いた瞬間に、体感温度が10度上昇するぞ。暑苦しいと言えば、常に上半身裸の、この男が一番だ。上半身裸は彼のユニフォーム。服をきている写真を見た記憶が皆無。そういや子供の時に、いつも上半身裸の爺さんが小学校に来て、「ニコニコ裸運動」で健康になろうとか言っていたのを思い出したぞ。


I want the moon / Leatherface
 なんて暑苦しいライブだ。オレもこの暑苦しいライブを体験している。
 このLeatherfaceの初来日は1991年ごろだったと思う。真夏の7月。夜の9時でも気温は30度以上。灼熱の夜だった。汗だくでライブハウスに入ると、その中はサウナ以上の熱気。いやきっと地獄とはこんなに熱いところに違いないと確信させられる熱さ。恵比寿のそのライブハウスにはエアコンはあったのだろうか? ともかく、ステージに立つFrankieも、こんなに熱いライブは初めてだとぼやいていた。その熱々のライブが終わり会場を出ると、それでも外気温は33度。ところが、煉獄のように熱い場所から出てきたものにとっては、そんな熱々の街が涼風が吹くがのごとく涼やかな場所に思えたのだった。

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# by kararachan | 2017-07-07 14:14 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

良い音楽家は音楽に陶酔するが、良くない音楽家は自分に陶酔する

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 最近ちょっとしたスピリチュアルな体験を(別に神を感じたとか、聖霊に会ったとか云うわけでもないが、日本語でこれを表す適当な言葉がないのでスピリチュアルな体験と書く。Curtis Mayfieldについて書いたこの投稿を参照してくれ)したもので、ちょっとスピリチュアルづいている。今回もちょっとスピリチュアルな内容なんだけども、興味のない人は読み飛ばしてくれ。

 先日友達たちが企画主催したメーメーストックと云う愛と平和の音楽イベントに出演した。場所は斜里町郊外の山の中にぽつりと一軒存在する、メーメーベーカリー。このパン屋は離農したたぶん築60年以上のエライ古い家を改築して薪窯を作ってパンを焼いて売っている。そんなパン屋の中庭と言うか、店前のあいた土地でライブと出店をやると言うのが今回のメーメーストック。

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ほんの一時だけ雨が上がり、蚊に刺されながらも屋外で演奏する事の出来た遊君。

 残念ながら当日は朝からシトシト雨が降り、出店は全て店内、ライブも店主の居住スペースをステージにして行うことになった。
 出演者は全部で8組。フォルクローレから始まり、ヒーリングミュージック、詩の朗読、ギター一本で熱唱など、各自が思い思いのパフォーマンスを繰り広げた。
 オレも女房の友達達と、ノーザンライツというバンド名でギタリストとして(音程の外れたギターで、ノイズ担当と云った方が良いかもw)出演。ゴダイゴのBeautiful nameと上々颱風バージョンのLet it beのカバーを演奏した。狭いステージゆえ、オレはギターアンプに座りながら演奏したんだけども、自分の音があまり聞こえず、勢いだけの演奏になってしまった。精いっぱいの演奏だったので、反省はするけれども、悔いは無い。
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本業は鍼灸師のひとりゆげさん。不思議なヒーリング楽器を演奏してくれた。
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カリンバの親戚のアフリカの楽器を演奏するナンシーちゃんの後ろ姿。後ろにいる犬はナンシーちゃんの相棒・会場沸かせ役(ピエール瀧役w)のアスペル君。


 そして圧巻はなんといっても、トリの「ねむねむの木」さん。キャンピングカーで全国を放浪し、つい先日北海道の標茶町に腰を落ち着けた男女2人組のユニット。ヴォーカルのシロちゃんが、旦那の弾くアコースティックギターの演奏で歌い出すとその場がさーっと一変した。いつものメーメーベーカリーの室内が、神聖なる気で充ち満ちるのが判る。二人とも前髪を眉毛の上5cmで切りそろえられ、まるで伝説巨人イデオンのバッフクラン星人のようだ。愛と平和と言うのがこのイベントのキーワードだったんだけども、そのキーワードをまさに体現する2人の演奏だった。北海道の東部に居を定めつつも、これからも全国を歌って廻るそうなので、「ねむねむの木」と云う名前を見かけたなら是非聞きに行って欲しい。
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これがバッフクラン星人

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youtubeで見つけた、ねむねむの木さんの演奏

 このメーメーストックでオレにとって印象深い出来事が有った。うちらの演奏が終わり楽器を片づけようとしていた時に、ナマズみたいな顔をした爺さんが、「ちょっと私にピアノを弾いて欲しいと言われたものだから」と言い訳しつつみんなの前にしゃしゃり出てきた。そしてキーボードの前に座ると、ただ鍵盤を叩きつけるだけの粗雑な演奏でジャズのスタンダードを弾き始めた。そのキーボードはうちらの備品で、もちろん弾かせてと言われれば心地よく「良いよ」と云ったろう。だが、その爺さんはなんの断りも無く、当然のようなナマズ顔で、頼まれてもいないのに、乱雑な演奏を初めた。そして観客のお義理の拍手に酔いしれていた。

 オレとしてはかなりムッとする出来事だったんだけれども、ねむねむの木さんの演奏を聴いた後になって、このナマズ爺の演奏の意味が胸に湧いて出てきた。
 この日出演した人たちは、もちろんうちらのバンドも含めて、皆真摯に音楽に向きあい、心を込めて演奏した。自分たちの作り出す音に酔いしれていたと言っても良い。音楽は神様に捧げる神聖な調和、宇宙につながる調和。演奏すると言う事は有る意味神事だと言っても良い。ところがこのナマズ爺の演奏は、自分にしか向かっていない。自己陶酔だけの演奏。そこには観客も、音楽の神様も無く、どうだオレはこんなことも出来るのだぞと言ういやらしい自己顕示欲だけがそこに有った。音楽に陶酔しても、自分に陶酔してはいけない。なぜなら全て音楽は、聖なるものに捧げる神事なのだから。
 オレはこんな事を、このなまず爺のまずい演奏を聴く事によって、気がつく事が出来た。ねむねむの木さんの神事。そしてナマズ爺の珍事。この対照的な2つの演奏によって、音楽の深遠をのぞき見た気がする。
 そんな訳で、ナマズ爺の演奏もけっして無駄な時間では無かったと言うことだ。聖なる精神は人間に思いもつかない、トリッキーな事をして、何かを伝えようとする。

 メーメーストックが終わった次の日。女房の言葉。「オコンコロや遊君は南米、ひとりゆげさんは北米(楽器が)、ナンシーちゃんはアフリカ、ねむねむの木さんは日本やアジア。うちらのバンドも日本やアジアだけど、Let it beはもともとイギリス。と言った訳で、地球の各地域を象徴するグループがここに集まって、平和と愛を歌ったんだね。」と。そんな訳で、音楽はつくづく神事なんだなぁと心底納得した一日だった。

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# by kararachan | 2017-07-03 23:47 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

思い出すはベースを弾く赤いマニキュアを塗った指 チャットモンチーと機械仕掛けの秘密基地ツアー2017帯広公演

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 ああ、思い出しても、じわじわと面白みが込み上げてくる。何の事かと言うとつい先日見に行ったチャットモンチーのライブの事。

 6月29日にチャットモンチーと機械仕掛けの秘密基地ツアー2017の帯広公演に行ってきた。斜里町は北海道の道東と云われる地域に位置しており、帯広も道東地方と呼ばれるんだけども....。だが斜里から帯広に行くには250kmもの距離を車でドライブしなければ行けない所なのだ。

 この日、午前中で仕事を切り上げ、そのまま帯広へ向かって出発。運転の相棒は女房。ライブはオレしか行かないのだが、1人で車の運転をするのは大変だからと付いてきてくれたのだ。
 延々と車を走らせ3時間、やっと足寄町に到着。もうここは十勝圏。さすがここまで来ると他所者感をひしひしと感じる。足寄からは高速に乗り帯広に着いたのは、出発してから4時間強の午後の4時ちょっと過ぎ。長時間運転は疲れるわー。でも目的はライブ。これからが本番だ。

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足寄町の道の駅で一休み。ここはかってふるさと銀河線という第三セクター鉄道の駅舎。高速道には金は出すが汽車には金は出せないと言う事で2006年に廃線。松山千春コーナーが当然ある。

 会場はMEGA STONE。楽器屋とヴィレッジヴァンガードとライブハウスが合体した建物の中にあるライブハウス。小さなライブハウスなんだけども、これでもびっしりと客を入れれば600人も入るらしい。チャットモンチーの場合は、300人ぐらいの客の入り。もう若くないオレとしては、汗だく、密着のライブはしんどいので、のんびりと見られるこのぐらいの入場者数がちょうど良い。気持ち的には最前列で見たいのだが、それは若い者たちに譲って、会場真ん中の仕切りの鉄柵にもたれてライブを観る。客層は男対女が4対6位で女の数の方が多い感じで、年齢層も20代前半から中盤と云った感じ。オレより歳をとっていそうなのは、1人居るかどうか。すぐ目の前に、10歳ほどの娘連れのお父さん、たぶん40前後が居る。
 
 チャットモンチーのライブはこれで4回目で、2人編成のライブとしては3回目になる。今回も2014年の2人チャットの様なライブになると思っていたのだが....。
 いよいよ2人が出てきたと思ったら、2人ともいきなりヘッドフォンを頭にはめて、イスに座る。パソコンを操作して、打ち込みのドラム&ベースのトラックが流れはじめ、それに合わせてメロディーをキーボードで弾き歌うと言う、予想外のスタート。
 次々と過去の作品が演奏されるのだが、どれもパソコン演奏にリアレンジされて、座ったまま演奏される。なんだかノレ無いテクノと言った感じだ。チャットモンチーはもうロックバンドをやめて、KraftwerkやJohn Foxxになってしまったとこの時は思ったよ。だけど、これじゃ踊れない。ああいうテクノバンドじゃない彼女らの作ったトラックだと、何かが足りない気がする。
 そうやって何曲も次々と演奏されるのだが、客も少しあぜんとしていた気がする。オレも少し、これじゃあ今までのファンが離れてしまうなんていう不安が頭をよぎる。「恋の煙」、「染みるよ」といったファンにはおなじみの曲が、そんな機械仕掛けのアレンジで演奏されて行くのだが、心の底から楽しめない。

 そんな考えが頭をよぎっていた頃に、えっちゃんがようやっとギターを抱え、あっこちゃんはドラムにおさまる。「さあ、ここからはノリノリの時間だよ」と、あっこちゃんが宣言する。そこから雰囲気が完全に一変した。やっぱりロックバンドは、ギターだよ、ドラムだよ、ベースだよ。以前の2人チャットと違うのは、コンピューターが2人では足りないベース、時にはドラムの音を担当している事。アッコちゃんがドラムを叩いている曲では、コンピュータがベースを担当している(と思う。変身ツアーの時はギターにオクターバーをかまして低音を入れていたが、今回はちゃんとベースの音が鳴っていた)。ヘッドフォンを付けたり外したり、ヘッドフォンからはコンピュータとのガイド音が流れているのだろう。インナー型のヘッドフォンが有るご時世に、わざと大きな昔ながらのヘッドフォンを使用するのは、彼女達のこだわりか、はたまた雑音が聞こえないためなのかはちょっと判らない。何にしても、見た目はYMOを見ているようだった。

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ヘッドフォンをしながらライブと言えばYMOだね。
チャットモンチーの2人はもっとスピーカー部の大きなヘッドフォンをしていた


 何と言ってもやはりえっちゃんのギターの音はとてもいい。絶対に折れないけれども、ものすごく柔軟な繊維で作られたかのようなしなやかな美しく歪んだ音、とオレは彼女のギター音を表現しよう。そして以前に比べて格段に上達したあっこちゃんのドラム。以前のような緩さはもう感じられず、非常にタイトなリズムを刻む。相変わらず、ギター、ドラム、キーボード、ベースと楽器を交換しながらも、足りない部分はコンピュータが手助けすると言うその手法は成功している。変身ツアーとの大きな違いは、2人だけで全てやろうとしたその制約が外れ、曲をより大胆に、自由に表情豊かに表現することに成功している。
 今回もずいしょにお遊びが仕込んであり、1つのドラムセットのベースドラムとキーボードをアッコちゃんが担当し、スネア等他の部分をえっちゃんが叩きながら歌うという曲芸も披露していた。

 ライブの最後の曲は「シャングリラ」。機材のトラブル、といってもベースの音が出ないと言う、アナログのトラブルのため、曲の出だしからやり直すと言う事故が有ったが、逆により盛り上がっていったん終了。正直、以前見た男陣の4人編成のチャットモンチーの時に聴いた「シャングリラ」より、このチャットモンチー・メカでの演奏の方がはるかにタイトで良い出来だった。

 その後アンコールではスチャダラパーとのコラボの曲を、えっちゃん、アッコちゃんの2人で演奏・ラップし、あっこちゃんは客席に入り込むと言う大サービスぶり。最後に演奏した曲は「満月に吠えろ」で観客を沸きに沸かせてライブ終了。前半は非常に戸惑ったものだが、後半は力技で客をノリノリにさせてライブを締めくくると言う、ロックバンド・チャットモンチーの力量を存分に見せられたライブだった。

 歳も歳なので大人しく見ていたつもりだったのだが、終演後会場を後にしようと歩き出すと足腰が相当の筋肉疲労を起している。ほとんど跳んだり跳ねたりしていなかったのにね。これが歳ってやつか。
 なんだかんだ言って、終わってみればとっても満足の行くライブで、戸惑った前半のテクノ・チャットモンチーも非常に面白かった。たぶん今回のような趣向のライブはこれでおしまいだろうと思うのだが、又見て見たいと言う気にさせられた。何故かすぐ目の前にやってきてベースを弾くあっこちゃんの小さな細い指と、赤く塗られたマニキュアが目に焼き付いて離れない。
 つねに挑戦し続け、音楽と真摯に向き合う二人の姿、これこそがチャットモンチーの一番の魅力だと思う。音楽って捧げものなんだって思う。

チャットモンチー / last love letter
オレはジジイになっても彼女達のライブを見に行こうと思う。

 その後喫茶店で待つ女房と合流。22時ちょっと前に帯広の出発し、斜里にたどり着いたのは翌日の午前2時半。家で留守番をしていた犬が、大喜びでうちらを向かえてくれた。慌ただしく就寝の準備をしてまさに布団に入ろうとしたその時、ふと外を見てみると真っ暗だった空はもう群青色に変わっていた。オールナイトニッポン第2部が始まる時間だった。眠い目をこすりこすりラジオを聴いた小中高生の頃を思い出すよ。

チャットモンチー/ magical fiction
MCで映像ばかり目が行って、曲がちっとも入ってこないと云って客の笑いを獲っていたこの曲。

 こんなニューズが目に入ってきた。彼女達のこういう素朴で素直な活動こそ、郷土愛、愛国心と呼ぶべきだろう。誰かに言われて旗を振ったり神社詣でをすれば愛国者なのか? 目を血走らせて拳を突き上げて平和を叫ぶ事も平和を願う事とは違う。自分の持てるチカラ、才能を最大限に有効に使って、みんなを幸せにするなんていうすてきな活動こそ、愛国心だったり平和運動だったりすると思うのだ。そんな彼女達は美しいと心底思う。

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# by kararachan | 2017-07-02 00:18 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? そしてオレはいつP.K.Dickの夢から覚めるのか?

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 Blade Runner 2049の新しいトレーラーが先日公開になっていたが、最初は全く期待していなかったこの続編だけども、だんだんとオレの中で期待が膨らんでいった。さて、どういう映画になっている事か。不安と期待が入り交じる。少なくとも20年近く前に、K.W.ジターが書いた小説「ブレードランナー2 レプリカントの墓標」みたいな駄作、と言うかクズだなこの小説は、みたいにはならなそうだ。あの小説を一言で評するなら「1度噛んだガムにまた砂糖をまぶして噛むような作品」。


 さてBlade Runnerの原作、アンドロイドは電気羊の夢を見るか? Do androids dream of electric sheep? をつい先日読み終えた。なんで日本語タイトルと原題を書いているかというと、英語版を読みながら、意味が取れない文章があれば、直ぐに日本語訳で確認するというまどろっこしい読み方をしていたのだ。原著と翻訳と2冊持って読むのはちょっとだけ面倒だった。英文reading練習を兼ねて、こんな読み方をしてみたのだが、時には(というかそういう読み方の方が多いのだが)英文1文読むたびに、日本語訳を1文読むなんて具合で、読み進めていった。そんな読み方なので読了まで数ヶ月かかったよ。でもおかげで、英文をずいぶんと早く読めるようになった。楽しみがら良いトレーニングが出来たと思う。日本語で読んだ本を、英語の原著で読み直すというのは、英文を読む良い練習になるので、英語学習者には強くお勧めするよ。特に自分の好きな作家や、分野の本なら尚良い。

 アンドロ羊は前にもこのブログで取り上げた題材なんだけども、あの時はまだ再読の途中で、記憶をたよりに書いたものだった。今回30年ぶりに精密に読んで、以前と全く読後感が違う事に驚いた。30年前に読んだときは、その時がP.K.Dickの世界に触れた最初。Blade Runnerの印象が強かったせいか、なんだか淡々と、そして奇妙な話だなという思いだった。
 でも、今回はその作品に込められた念が、ブスリブスリと突き刺さってくる。これも長年Philの作品を読み続けてきたせいだろうか。考えてみればこの一年間に10冊近く彼の作品を読み直している。何が人間を人間たらしめているのだろう? そしてこの世には人間でありながら、まるでアンドロイドのような、人間といえない生命体が少なくない。彼らには人間として何が足りないのか? 生物を模して作られたモノも、生命を宿しているのだろうか? じゃあ、それは生きていると言えるのか?

 そもそもタイトルのアンドロイドは電気羊の夢を見るか? と云うのはどういう意味だろうか? 最初は寝るときに見る夢の事を言っているのかと思っていた。アンドロイドが眠るときに、羊を数えて眠る、そんな意味にとらえていた。でも、読み進めているうちに、Philはこのタイトルにどういった意味を込めたのだろうと言う思いが強まってくる。
 核戦争で荒廃したこの世界で、人間は生きた本物の動物をペットにする事を夢に思い描く。アンドロイドもそういう風に、ペットを持つ事を夢見る事を指しているのだろうか? 人間なら動物、アンドロイドだから電気動物。そうなると、アンドロイドも、他のモノに対して、共感が芽生えるのか? 他者に共感がないものは、人間じゃなくてアンドロイドなのか? この小説で登場するアンドロイドは実は、人間なのにまるで他者に対して共感のない機械のような冷たい人間を暗示しているのではと思いはじめた。そんな人間もどきが欲しがるのは生きた羊ではなく、電気仕掛けの羊なのではないか? 共感を求めていないのだから、共感を必要としない電気羊で、形だけの羊で十分と言う事じゃないかと。

 それとPhilの小説に流れている一つの謎が浮かんできた。数字「6」が意味するものは何なのだろう。この小説の場合は、アンドロイドの型番がネクサス・「シックス」。そしてDeckardが追うアンドロイドの数が「6」。また別の小説「流れよわが涙と警官は言った」の中に出てくるジェイソン・タバナーは、遺伝子操作により優れた能力を与えられた、「6th」と呼ばれる改造人間。だが優れた能力を持ちながら、ジェイソンタバナーは、何か愛に欠けた非情な人間。いったいDickが小説に込めているこの数字の6とはいったい何なのであろうか? 神秘学的には「6」は、「調和と安定」を表す数字。Robert Fripp先生の影響で神秘学を少し齧った成果がこんなところに現われる。また「美と創造」を象徴する愛の数字とも云われる。
 そう考えると、ネクサスシックスに込められたのは、この不完全な人間を超えた完全な人間の意味を込めているのだろうか? だが、アンドロイドには「愛」がない。
 こんな完全、愛、調和とはほど遠い人工的な生命に「6」の象徴をあてがうのはどういう意味何だろうか? 作者の作品に秘められた糸を紐解いて行くと言うのは、ファンとして作品をより深く楽しむ作法だと思う。

 読めば読むほど、作者が込めた謎がわき出し、結論なんかちっとも出てこない。そんなP.K.Dickの迷宮に迷い込んで、グルグルと堂々回りを楽しんでいるものがここに一人いる。何かまた思いついたときに、この本について書いてみようと思う。書いても書いても尽きないと思うのだが。

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# by kararachan | 2017-06-24 12:03 | 書籍 | Trackback | Comments(0)

Robert Fripp先生と素晴らしきボーカリストたちPart5

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若い時はかなりの美青年だったGreg Lake。Leif Garret程度なら秒殺だね。

Greg Lakeの巻
 いったい読者なんかいるんだろうかと言うこのブログ。誰も期待なんかしていないのに、さらにこのシリーズが続く。今回で5回め。
 これまでFripp先生がいろいろなミュージシャンと繰り広げてきた素晴らしいとしか言いようの無い仕事を書いてきたけれども、おっと誰かを忘れていませんか? そうKing Crimsonでのお仕事です。

 King Crimsonの1stアルバムを初めて聞いた時には、まずその音空間に圧倒された。圧倒されたのは器楽の演奏だけではなく、Greg Lakeの湿り気を帯びた声の魅力にも震えが来た。初めて聞いた曲はEpitaph。低く陰気な声で絶望に満ちた曲を朗々と歌い上げるGreg Lakeのつやのある声。13歳のオレがKing Crimsonの魔力にとりつかれたのは、彼の声の功績も大きかったと思う。それまでに聴いてきた音楽で、こんな説得力のあるボーカルは聞いた事が無かった。当時13歳のオレが大好きなロックバンドとしては、The Policeがあるんだけども、Stingのキンキン声にはこういう魅力はない。思わず聞きほれてしまう声の響き、これまでオレが聞いた事のない、豊かな声量の表現力の深いボーカルがGreg Lakeだった。Fripp先生はなんとも素晴らしいボーカルをバンドに呼び寄せたものだと思う。だが、

King Crimson / Epitaph

 CrimsonファンならもうTipsと言っていいだろう。Greg Lakeは若かりし頃Robert Frippと同じクラシックギター教師に、ギター奏法を習っていたという。そうKing Crimsonは同郷人で作られたバンド。けれども、どうしてそういう傑出したミュージシャンがそんな狭い地域にかたまっているのか? これって人生の謎だよな。チャットモンチーの2人も、同じ高校の同級生。才能を持った人が何かの偶然、いや神様の悪戯で同じ地域に生まれた? それとも誰もがそんな才能を持って生まれていて、FrippとLakeの出会いのようにそういう事が引き金になってその才能を開花させる仕組みがあるのか? 不思議で仕方がない。

 たまたま同郷で、歌が歌えてベースが弾けるミュージシャンが足りないから声をかけたなんてよくある話だと思う。だけども、その彼が聴く人を黙らせてしまうような素晴らしい声の持ち主だった、そんな人がたまたま同郷人だったなんて、そんな偶然って、そうそうあるものじゃないだろう。同じギター教室に通う生徒2人がKing Crimsonとしてデビュー。その後1人はCrimsonを離れるもEL&Pとしてさらに大成功。そんな漫画みたいなストーリーってあるものだろうか? いや、ここに、King Crimsonにある。そんな漫画20世紀少年みたいな、同じ学校の同級生と言う狭い世界の人間で、世界を破滅させるだの救うだのというそんな荒唐無稽な話が有る訳ないだろうと思って読んでいるのだが、そんな狭い世界でのあり得ない現実は実際にはある。

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King Crimsonの1stアルバム In the court of Crimson Kingのジャケットがこれ

 残念ながらGreg LakeはKing Crimsonでは1stアルバムと、2ndアルバムの2枚でしか彼の声を聞く事が出来無い。オレの評価としては2ndは1stの焼き直し。いくつかいい曲が有る程度のアルバムで、別に聴かなくても良いと思っている。かって渋谷陽一はサウンドストリートでKing Crimsonの事を「出すアルバム出すアルバムが前作よりも優れた作品を出し続けるバンド」みたいな事を言っていたが、何を聴いているんだかと思うね。
 まあそんな話はほっといて、Greg Lakeの声を堪能するのなら、1stの「in the court of Crimson King」を断然お勧めする。Greg Lakeという、それまで無名だったミュージシャンが世に知られる、まさに一瞬の奇跡のような輝きに満ちたアルバム。一家に一枚有っていいアルバムだ。玄関に飾っておけば、厄除け効果も期待出来る。

In the court of Crimson King / King Crimson

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若い時の美青年ぶりは何処に行った! まるで樵。

 それにしても、昨年12月7日、ガンで亡くなった事が残年でならない。Greg Lake、享年69歳。


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# by kararachan | 2017-06-21 21:45 | 音楽 | Trackback | Comments(0)