極北の死なないNirvanaは、ハルカトミユキと云う

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 Nirvanaを初めて聞いた時は、正直ピンと来なかった。中途半端なハードロック、パンク?というのが正直なところだった。音楽仲間の大塚君は物凄く彼らの音にのめり込んで、オレに聴け聴けというのだが、ちっとも良いと思わないのだ。その転機が訪れたのはCurt Cobainの自殺。最新のロック27歳伝説。彼の自殺でやっと彼らの音楽がどういうものかオレにも理解できた。彼の怨念のような音楽に込めた念は凄いものがあったなぁと今にして思う。それからしばらく、「死」が頭から離れなかった。彼の死に衝撃を受けたミュージシャンも少なからずいたんだろう。大槻ケンヂは「レティクル座妄想」という死の臭いたっぷりの作品を作り上げた。

 だけども今じゃもうNirvanaなんかもう聴かない。「死の束縛」から開放されたんだ。っていうか50歳になれば死なんか直ぐそこにある現実だ。
 John Lydonがこんな事を言っていて、オレも同意見だな。「ニルヴァーナみたいな連中がパンク・バンドを自称するなんて見当違いもはなはだしい。表現の全てを自虐的ヒロイズムから出発させるなんて、これほど不毛で愚昧で無駄な芸術形態が他にあるかってんだ」。破壊的と言われるが実はJohn Lydonは物凄くクリエイティブな男の一人だとオレは思っている。クリエイティブな3人のJohn。Wetton、Foxx、そしてLydon。音楽はとてもクリエイティブな行為なんだとこの年になってつくづく思う。

 大槻ケンヂの番組に登場して知ったハルカトミユキ。かわいらしい姿とは裏腹に、その作り上げた音世界は残酷に美しく陰鬱だ。なるほどNirvanaを敬愛していると公言しているのも頷ける音と暗黒さだ。だけども.....。
その日が来たら / ハルカトミユキ


 人に興味がないと公言する彼女達はいったい誰に向かって歌いかけているのだろう? 彼女達は自分たちの存在を、歌わなければその存在を否定されて、無いものにされてしまわないように、自分たちの存在を確かめるために歌っているように思える。自分たちがいるからこそ歌い続けるのだ。Curtとは逆なのだ。彼は自分を否定するために歌っていたのだ(Cortney LoveがCurt殺しの主犯だと言う説もオレは読んでいるが。あえてこう書く。尾崎豊、Curt Cobainの共通項、妻が草加煎餅学会員)。

 彼女達の歌に「絶望ごっこ」と言う曲があるが、ハルカトミユキは何にも絶望していない。人には何も期待していないからだ。だからこそ絶望ごっこ。期待していない人に、絶望なんかありっこない。ここに極北の絶対死なないNirvanaが誕生した。

絶望ごっこ/ ハルカトミユキ

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by kararachan | 2017-08-17 13:31 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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