家族企業

 先日社長の初七日を済ませた。だが、親族は誰も来られないので社員がお参りをする。何とも不思議な光景だが、独り者の社長なのでしょうがない。弟は広島で勤務しているので、四十九日ぐらいしか来れないそうだ。これぞまさしく家族企業だな、と笑うしかない。

 社長はこの田舎の零細印刷屋の2代目。25年ほど前に先代社長が亡くなり、40歳前に後を継いだ。母親も早くに亡くしている。マザコンだったのだろうか? 女性の好みがうるさいのか、自由でいる事が何よりも好きだったのかわからないが、結婚には縁がなく死ぬまで独身だった。決して女性が嫌いでは無く、酔っぱらって女性の胸や尻を触っているのをこれまでも何度も見ている。
 親からがっっぱり遺産を受け継ぎ誰からも五月蝿く云われないから、なんでももう好き放題(専務は除く。親族でも無くただの雇われ人なのだが、社長には何でもずけずけと言うただ一人の人が専務)。毎日のように良いものを食べて飲んでといった生活が続いたせいか、お腹はでっぷりと出て、終いには糖尿病になってしまった。だからといって飲み食いをあきらめる社長では無いから、それまでよく飲んでいた日本酒を焼酎に換え、日中はコーラーからダイエットコーラに換えたというのが本人の健康に対する配慮。

 オレが思うに、このダイエットコーラと云うのが、最悪の選択だった。ダイエットコーラに含まれる合成甘味料は脳腫瘍など脳を破壊する。おまけに血糖値も急上昇させるなど、糖尿病にもちっとも良くない。これらの事はちょっと調べればいくらでも出てくるけれども、そんな毒水をダイエットに良い、健康に良いと思っている人はどんどん飲めばいい。自分の体は自分で守るものだ。

 社長は7年前に脳梗塞で倒れ、それ以来病院と介護施設の間を行ったり来たりしてきた。当初は言葉が出ないけれども、それほど酷い状態では無かった社長だが、なんせ通夜の席で住職に「自分に優しい」と云われるほどの努力嫌いの人。リハビリに努力するなんてことは全くしなかった。だから右手は曲がったままで固まり殆ど動かせなくなり、足はどんどん衰え、最初はぎこちなくだが立って歩けたのに、亡くなる数年前には車椅子がなければ移動出来ない体になった。おまけに持病の糖尿は良くなる事がなく、2年前からは透析を受ける身に。透析を受けるようになってからの体の衰えは、地下鉄新御茶ノ水のエスカレーターのようだ。あれよあれよと急降下。医者曰く年齢は60歳だが、体は80歳の老人と一緒だといわれるしまつ。

 見舞いに行っても、社長は、うー、あー、しか言えないのでまともに会話にならない。そんな事もあり、社長を見舞う事は殆どなかったこの数年間。このままだらだらとこんな感じが続き、何時の日か終わりが来るんだろうなと思っていたが、意外とその日が来るのは早かった。9月の最終週の月曜日朝礼で、専務から社長の容体が悪くなったと伝えられる。血糖値が上がらなくなり、白血球の数値が1000を切る位下っているらしい。

 その2日後の27日、いよいよもって容体が悪化、話しかけても殆ど反応が無いという。その日の夕方、仕事を17時で終わり、そのまま隣町の病院に駆けつけた。オレの他にも4名の社員が既にそこにいた。社長は片目だけ薄目を開けている。殆ど精気が感じられないその目。血圧は低く、といってオレと同じくらい。だが血中酸素濃度がずいぶん低い。50も無いくらいだ。レントゲンを撮ると肺が真っ白で殆ど機能していないという医者の言葉を思い出した。時折社長は両目を開けて、目だけ周囲を見回す。その時だけ何か意思を伝えようという力が目に宿っていた。1時間ほどで帰ろうと思っていたのだが、結局のところ19時過ぎまで病室で社長を見ていた。

 その日帰宅して書いたのがこの投稿。リンリンと電話が鳴りご臨終を伝える。
 電話が鳴る度についにその時が来たか! と、ドキリとしたが、結局その日はそういう電話連絡は無かった。
 実際のところ、社長は私たち社員が退室して程なく容体が急変して、20時過ぎには亡くなっていた。私たちが帰るのを待って死んだみたいだ。他の見舞いに行った社員は夕食になるものでも買おうとコンビニに立ち寄っている時に、専務から又病院に行ってくれと連絡が入っていたらしい。結局オレだけ翌朝出勤するまで社長の死を知らされなかった。まあ、生きている最後の顔を見られたので、良いとするか。

 7年前に脳梗塞で倒れてから、オレの勤務先から社長の存在は無くなった。専務以下社員が協力して、社長が不在でも会社をそれまで通り営業して行けるよう努力した。だから社長が死んでも、死ななくても会社としては表面的には大きな変化は無い。何時も通りに仕事が始まり、何時も通りに仕事が終る。だけどももう、その人がこの世には居ないと言うのは何とも言えない寂しさがある。

 今日も勤務前に、会社に隣接した社長宅に立ち寄って仏前に手を合わせる。飾られた遺影は、倒れる前に撮影された写真だからもう10年以上前のものだ。皆が知る元気な頃の社長の顔。その遺影を見る度に、なんだかとても懐かしい気持ちが沸き起こる。悲しいでは無くて、ただただ懐かしい。7年前からもう会う事の出来ない社長のその姿。

 いずれオレも同じように燃やされ灰になる。その後には何も残るものは無い。そうすれば5年もすれば人の記憶からも消えるだろう。何も残そうなんて思っていない。消え去るで結構。死んだら直ぐに火葬場で燃やしてもらいたい。戒名なんかいらないし、同級生が僧侶をしているが、読経も葬式もいらない。四十九日や年忌みたいなものはお断りだ。遺骨は海にでも撒いてくれれば願ったりかなったりだ。墓なんか土地の無駄遣い。どの家の墓にも入れないでくれ。無名の凡人はこの世に何も残さず、全て綺麗に地球に返してお別れするのが一番だとオレは思っている。

 ミュージシャンは死んでも、その後に作ってきた楽曲が残り続ける。誰が作ったか、誰が歌ったか忘れられても。音楽は神、天、宇宙への捧げ物。だから永遠の命がある。

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by kararachan | 2017-10-06 17:10 | forward | Trackback | Comments(2)
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Commented by KTT at 2017-10-06 22:36 x
読んでて何か深い所でぐっと来たよ。凄くいいね。改めてRIP。私も全く同感だな。
Commented by kararachan at 2017-10-07 08:58
ありがとう。なんか今のこの気持ちを書き記しておこうと思って書いて見たのだ。たぶん1ヶ月もすれば忘れてしまうw
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