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Robert Fripp先生と素晴らしきボーカリストたちPart5



Greg Lakeの巻
 いったい読者なんかいるんだろうかと言うこのブログ。誰も期待なんかしていないのに、さらにこのシリーズが続く。今回で5回め。
 これまでFripp先生がいろいろなミュージシャンと繰り広げてきた素晴らしいとしか言いようの無い仕事を書いてきたけれども、おっと誰かを忘れていませんか? そうKing Crimsonでのお仕事です。

 King Crimsonの1stアルバムを初めて聞いた時には、まずその音空間に圧倒された。圧倒されたのは器楽の演奏だけではなく、Greg Lakeの湿り気を帯びた声の魅力にも震えが来た。初めて聞いた曲はEpitaph。低く陰気な声で絶望に満ちた曲を朗々と歌い上げるGreg Lakeのつやのある声。13歳のオレがKing Crimsonの魔力にとりつかれたのは、彼の声の功績も大きかったと思う。それまでに聴いてきた音楽で、こんな説得力のあるボーカルは聞いた事が無かった。当時13歳のオレが大好きなロックバンドとしては、The Policeがあるんだけども、Stingのキンキン声にはこういう魅力はない。思わず聞きほれてしまう声の響き、これまでオレが聞いた事のない、豊かな声量の表現力の深いボーカルがGreg Lakeだった。Fripp先生はなんとも素晴らしいボーカルをバンドに呼び寄せたものだと思う。だが、


 CrimsonファンならもうTipsと言っていいだろう。Greg Lakeは若かりし頃Robert Frippと同じクラシックギター教師に、ギター奏法を習っていたという。そうKing Crimsonは同郷人で作られたバンド。けれども、どうしてそういう傑出したミュージシャンがそんな狭い地域にかたまっているのか? これって人生の謎だよな。チャットモンチーの2人も、同じ高校の同級生。才能を持った人が何かの偶然、いや神様の悪戯で同じ地域に生まれた? それとも誰もがそんな才能を持って生まれていて、FrippとLakeの出会いのようにそういう事が引き金になってその才能を開花させる仕組みがあるのか? 不思議で仕方がない。

 たまたま同郷で、歌が歌えてベースが弾けるミュージシャンが足りないから声をかけたなんてよくある話だと思う。だけども、その彼が聴く人を黙らせてしまうような素晴らしい声の持ち主だった、そんな人がたまたま同郷人だったなんて、そんな偶然って、そうそうあるものじゃないだろう。同じギター教室に通う生徒2人がKing Crimsonとしてデビュー。その後1人はCrimsonを離れるもEL&Pとしてさらに大成功。そんな漫画みたいなストーリーってあるものだろうか? いや、ここに、King Crimsonにある。そんな漫画20世紀少年みたいな、同じ学校の同級生と言う狭い世界の人間で、世界を破滅させるだの救うだのというそんな荒唐無稽な話が有る訳ないだろうと思って読んでいるのだが、そんな狭い世界でのあり得ない現実は実際にはある。

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King Crimsonの1stアルバム In the court of Crimson Kingのジャケットがこれ

 残念ながらGreg LakeはKing Crimsonでは1stアルバムと、2ndアルバムの2枚でしか彼の声を聞く事が出来無い。オレの評価としては2ndは1stの焼き直し。いくつかいい曲が有る程度のアルバムで、別に聴かなくても良いと思っている。かって渋谷陽一はサウンドストリートでKing Crimsonの事を「出すアルバム出すアルバムが前作よりも優れた作品を出し続けるバンド」みたいな事を言っていたが、何を聴いているんだかと思うね。
 まあそんな話はほっといて、Greg Lakeの声を堪能するのなら、1stの「in the court of Crimson King」を断然お勧めする。Greg Lakeという、それまで無名だったミュージシャンが世に知られる、まさに一瞬の奇跡のような輝きに満ちたアルバム。一家に一枚有っていいアルバムだ。玄関に飾っておけば、厄除け効果も期待出来る。


 それにしても、昨年12月7日、ガンで亡くなった事が残年でならない。Greg Lake、享年69歳。


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by kararachan | 2017-06-21 21:45 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

People not get ready?

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年とって、ショボショボ顔になってしまったので、ショボ婆さんと言う名前を付けられていた我が家の鶏。
去年の秋から寒い日は家の中で養生させていた。

 昨日の朝、我が家で買っている老鶏が亡くなった。推定年齢10歳。徐々に衰えて、亡くなる前日は一日中ずっと蹲ったまま、食事は全く摂らず、水を少し飲んだだけだったのでもう長くはないなと思っていたのだ。

 オレは15年ぐらい前から鶏を飼い続けていて、今も庭の鶏小屋に2羽鶏がいる(←だじゃれみたいだな。昨日までは3羽だった)。最盛期は40羽近く飼っていて、もちろん自分で殺して食べて数調整をしてきた。やっぱり生きものを殺すって云うのはとても辛い作業で、8年ぐらい前からは我が家の鶏を食べるのを完全に止めてしまった。鶏は愛らしいペットで、鶏肉は買って食べるもの(←偽善者)。
 最後に卵を孵させたのは8年前で、それ以降は自然死で徐々に数を減らしていった。今生きているのは、7年前に女房の知人から貰った、雛から育てているメス鶏で、もう充分なおばあちゃん鶏だけども、それでも一羽につき年に30個ぐらいは卵を産んでいる。

 昨日亡くなった鶏は、今生きている鶏のお母さん役をやってくれた鶏だと思う。雛で我が家にやって来た、ハト子とパー子にピー男(これは昨年亡くなった)。雛だけでは食事もちゃんと出来ないし、夜は誰かのお腹の下にいないと凍えてしまうだろうと、1羽の雌鳥を捕まえ、ケージに雛達としばらく一緒にしておいた。そうすると雛は雌鳥と慣れてお母さんとして懐いてくれた。うちの鶏は烏骨鶏なんだけども、子育ては上手な鶏だ。
 この4年間鶏は毎年数羽ずつ老衰で亡くなっていったんだけど、最後に残ったのがそのお母さん鶏と娘のハト子とパー子。最後までハト子はお母さんを大事に気づかっているのが見てとれた。鶏は個性豊かで、愛情深い生き物だ。

 霊感というんだろうか、何かがある日降りてくるときがある。共謀罪が可決され、多くの人が悲嘆し、戦いの炎をめらめらと燃やしていた日だ。
 その日何故か、Curtis MayfieldのPeople get readyのメロディーが頭に浮かんで、その意味が突然頭に伝わってきた。「みんな、準備しろよ」と。
 これは戦いを準備しろと云う意味じゃない。悪と戦うには自らも悪にならなければならないのだ。悪と戦うために悪になれば、そこに残されたものは破壊だけ。今の日本は右翼と左翼が反目しているように見えて(方や愛国、方や平和。むいている方向は違えども)、実は仲良く戦いの炎をめらめらと燃え上がらせ同じ事をしている。左翼と右翼がバタバタとつりあいを取って羽ばたき、戦争を指向している事に誰も気がついていない。答えは戦いじゃないんだ。
 オレはこのPeople get readyと云う歌が、もっと次元の高い世界へ行くために、人間の精神をもっと高めなさいと言っているように思えて仕方がない。平和を実現するために戦うって? それって戦争好きのしている事と何が違う? だからと言って何をすればいいかはオレには答えが無いが、平和な世界を実現するための手段として戦う事は間違いだと思っている。口では平和を唱道しながら、暴力に満ち満ちた「左翼」の連中なんて何処にでも居るだろうよ。例を挙げるなら、ヒラリー・クリントン見たいな戦争屋を支持して反トランプ暴動を起すって、それって平和を口にする連中がする事か?



People get ready, there's a train a comin'
You don't need no baggage, you just get on board
All you need is faith, to hear the diesels hummin'
Don't need no ticket, you just thank the Lord

So people get ready, for the train to Jordan
Picking up passengers coast to coast
Faith is the key, open the doors and board 'em
There's hope for all, among those loved the most

There ain't no room for the hopeless sinner
Whom would hurt all mankind, just to save his own, believe me now
Have pity on those whose chances grow thinner
For there is no hiding place, against the kingdom's throne

So people get ready there's a train a comin'
You don't need no baggage, you just get on board
All you need is faith, to hear the diesels hummin'
Don't need no ticket, you just thank the Lord
Curtis Mayfield / People get ready

 荷物もチケットも要らない。ただ神への感謝の気持ちがあれば、この汽車に乗れる。
この汽車に罪深き者の席はない。汽車は来ている。世界に平和が満ちる機会はもうそこに来ている。ただ気がつけばいいだけなのに。平和を望む者たちは、目を血走らせ、拳を突き上げ、汚い言葉を敵に吐きかける。その姿は、そっくりそのまま彼らの敵とする人々とそっくりだ。

 漠然とだけども、あの日オレはこんな事を思った。そしてPople get readyが頭に響いた。

 People get ready。これはオレの勝手な解釈。そのまま単純に神への愛を歌った歌かも知れない。天国に行ける汽車は、チケットも要らない。お金はかからないけれども、神への感謝がなければ乗る事が出来ない。罪深いものには席は用意されていない。
 具体的に何も描写していないだけに、1つの歌にいろいろな解釈ができる。そういうソウル・ミュージックの奥深さにとても惹かれる。

 これまで旅立っていった我が家の鶏たちには間違いなくその汽車の席が用意されているだろう。人間と違って鶏は何時でも準備ができているんだ。

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by kararachan | 2017-06-20 14:08 | 音楽 | Trackback | Comments(1)

「あなたは1990年の8月30日、東京ドームでPrinceのライブを観ましたね?」「いいえ、見た記憶がありません」「あなたの家から、そのライブ・チケットの半券が出てきましたよ」「........」

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 このブログの記事をより正確にしようと思って、これまでに見に行ったライブのチケット半券を探してみた。大学1年の時に初めて見た「外タレ」のIan Duryからつい一昨年に見たチャットモンチーまで全部の半券を保存している。理由は別に無い。
 こういう作業ってはかどらないね。目的のものを見つけようと一枚一枚見て行くと、どうしても手が止まってしまう。「あれーーー、これって96年じゃなくて93年のライブだったのかぁ!」とか驚きが沢山ある。早速その成果をこのブログに反映させて、過去の投稿に正確な情報を追記しておいた。

 でも一番の驚きは、行った記憶が全くないライブの半券があるのだ。たとえば、1995年10月に再々結成されたKing Crimsonが来日したんだけども、昭和女子大学 人見記念講堂のライブは確かに行った。良く覚えている。だけども、追加公演で中野サンプラザで行われた分は、全く記憶に無い。でも、間違いなくその半券がそこにある。確かに一番好きなバンドの一つだけに、可能な限り多くのステージを観たかったことは間違い無いが、この日のことは全く覚えていない。

 そして一番の驚きは、Princeの東京ドーム公演の半券が出てきた事だ。正直Princeなんて何の興味もない。そりゃあpurple rainだけはアルバムを買って聞いたことは事実だが、princeの音楽はオレの趣味じゃなく、世間で気持ち悪いほど称賛されているような才能の持ち主だなんてオレはこれっぽっちも思っていない。このブログの趣旨に沿わないからこれ以上書かないけれども。
 そんなPrinceのライブに何故オレは行ったのだ? とにかく何にも覚えていない。行ったこと事態が嘘みたいだ。きつねにつままれたとは正にこの事だな。刑事に追及されても、行っていませんと言い続けるしかない。例え、チケットの半券という証拠を突きつけられても......。

 そしてもう一つホントにオレ見にに行ったのーー、と驚いたのがDischarge。そうイングランドの超コワモテ、おっかないパンクの中の一番おっかないバンド、ハードコア・パンク・バンドDischargeのライブ。1991年の2月23日に川崎のクラブチッタに見に行っている。確かに音楽趣味の幅広いオレだから、ハードコア・パンクも聞くし、ハードコアシーンを代表するそんなバンドは見に行ってもおかしくはないのだが、全く身に覚えが無い。興味はあったものの、彼らのアルバムは一枚も持っていないし、怖いもの見たさの物見遊山で見に行ったから記憶に残らなかったのかな? ふとその時Stray Catsの文字が目をよぎる。こないだ投稿した記事に、Brian Setzer Orcheastraの事を書いたが、そうではなく本家本元Stray Catsの間違いだった。しかもこのDischargeを見に行く10日前に、オレはロカビリーしていたのだ!
 1991年の2月と言えば、大学卒業を目前とした時期。オレはこんな事してたんだねぇ。どうせならもっと、良い思い出作りしてれば良かったのに。

 youtubeでDischargeを検索したら、正にその日の映像が残っていた。きっとステージ前のカオスゾーンにいたと思うので、何処かに若かりし頃のオレが写っているかも知れない。頭よりも上に足が舞う、恐ろしいライブが、ハードコアパンク。次から次と人がステージから飛び込んでくる。頭上をグルグルと回る足に蹴られないように、音楽そのものよりも怪我しないように気をつけなければならないのがハードコア。うーむ、確かにそういう記憶ならあるぞ。別のバンドだと思ったがDischargeだったか?

 それはさておき、Princeだけども、当時のアルバイト先でアルバイト達と仲の良かった女性職員(その一人が今のオレの妻なんだが)と、皆でPrinceのライブを見に行こうよ! と話が盛り上がって、オレ一人だけのけ者になるのがしゃくだから、ついつい調子を合わせて見に行ってしまったのが真実何じゃないかな? 興味がないのに、そんな高額なチケット代金をドブに捨てるような真似は、その理由以外にはしないと思う。そんことだから何も記憶に残っていないのだろう。脳に無駄な事を覚えさせておくスペースはないのだ。どうせなら、楽しい事を沢山詰め込んでおきたいから、そういう記憶の置き場所はない、と言う事なんだろうか?

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by kararachan | 2017-06-14 17:24 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Robert Fripp先生と素晴らしきボーカリストたちPart4



 しつこく続くこのFripp先生と素晴らしきボーカリストたち。今回はDavid Sylvianについて書いて見たい。
 David Sylvian、言わずと知れた元Japanのボーカル。中学生の頃Japanが好きだなんて言おうものなら、「え〜〜〜〜、あんなオカマの気持ち悪いバンドが好きなのー」と同級生に指さされたものだ。確かにDavid Sylvianのボーカルは、クネクネ節を回すので男らしくはないが、とってもステキだと思う。服装だって、みろあんなカッコしたロックバンドが今の日本には山ほどいるじゃないか! 
 嫌々ながら付き合う会社の飲み会・2次会のカラオケ大会では、Japanの歌を彼の歌い方を真似して歌いたいところだが、そんな事をすれば、中学生の時以上に回りから浮いてしまうだろう。(←どうせ浮いているから、気にしていない)だから、まだ今のところはThe Doorsレベルに留めている。

 さて本題に戻って、Robert Fripp先生は本当に良いボーカリストたちと素晴らしい仕事を残している。Daryl Hallとの仕事はDarylのソロというよりもHall & Frippと言っても良い出来だったが、90年代に入ってDavid Sylvianとの共作は最もうまくいったコラボレーションだと思っている。たしかDavid SylvianのソロのGone to Earth(1986年)でFripp先生がギターで参加したのを切っ掛けに交流が続いていたようだ。この頃のDavidはゲオルギー・グルジェフ(神秘主義思想)にも傾倒していたらしい。グルジェフと言えばFripp先生(Fripp先生は70年代中期に出家して2年ほど音楽業界から離れる)。Fripp先生がDavidに教えたのか、それともグルジェフの神秘思想に傾倒するゆえにFripp先生に近づいたか、そのどちらかは解らないが、2人の間にそういうつながりがあったとは。

 2人がグループを作ったと聞いてまもない1992年春に突如来日。その時の編成は2人にスティックのTrey Gunnを加えたトリオでコンサートを行った。ドラムの無いトリオなので、前衛音楽的で静かなコンサートだったことは良く覚えている。Fripp先生の弟子が前衛的一人ギターで前座をやっていた気がするのだが、ちょっと情報が見当たらない。静かな演奏に、気だるげなDavidのボーカルが絡む耽美的なステージで、多くの人が眠気と闘っていたようだが、オレにとってはこれが始めて見る生Fripp先生。興奮しないわけが無い。いや〜〜とっても興奮したねー。田舎から東京に出てきて6年、ついに一番見たくてしょうがないミュージシャンを生で見ることが出来たんだからねぇ。いろいろ探してみたんだけども、どうもこの時のステージ映像は見当たらないのが残念。いったいどんなことをしてたんだろうか?




 その翌年1993年、Fripp & Sylvian名義でアルバム発表。てっきり前年に見たような、環境音楽のような作品と思っていたら、これがダンサブルな非常に素晴らしい作品。2人の個性ががっちりと組み合わさり、奇跡的なアルバムを生み出した。
 そして最初のライブのちょうど一年後に再来日。この時はドラムも入った編成で非常にロックしていた。たしかドラムはその後再々結成されるKing CrimsonのPat Mastelottoだったと思う。Pat MastelottoはHall & Oatesのライブバンドのドラマーだったそうだから、ミュージシャンのつながりってなかなか切れないもんだねぇ。

 この時のライブの思い出はと言うと、一緒に見に行こうと誘った彼女未満が現われなかったことが一番の思い出かな。当日、今日はデートだと盛り上がっていると、彼女の妹から連絡が入る。「お腹が痛いから外出できないって寝込んでいる。ごねんって言っているよ」。
 今思えば、どうせチケット代が無駄になるのだから、妹に聞きに来なよって言えば良かったのだが、落胆の方が大きくてそんな機転が利かなかった。右隣の空席がとっても気になったコンサートだったが、内容は素晴らしいの一言。前座はやはりFripp先生の弟子たちのCarifornia guitar trioだったと思う。The Venturesのカバー、Pipe Lineがとても盛り上がったなぁ。このあたり、チケットの半券を確認してあとで修正しようと思う。まあ、その時の現われなかった彼女が今の妻なんだけども、別にドラマチックなドラマは何もないので特に書く事はないなぁ。





 そのDavid Sylvian、再々結成のKing Crimsonのボーカルに誘われていたそうだが断ったそうだ。良かったんだか、良くなかったんだか。結果としては、このFripp & Sylvianが2人の創造性のピークだったように感じる。Crimsonには彼の居場所は見つからなかったんじゃないかな。でも、1974年以降のCrimsonには傑出したボーカルが居なかっただけに、Davidのボーカルというのはとても魅力的。また再び素晴らしいボーカルのCrimsonを聞いて見たいというのは、贅沢なのかな。



★2017/06/14 追記
コンサートチケットの半券は全部とっていて、それを確認してみた。ツアータイトル「The First day」の公演は1992年3月7日。この日前座がCalifornia guitar Trio。情報源はWiki。


そして再来日は1993年10月16日。この時のツアータイトルは「The road to graceland'93」だった。この時のサポートギターがMichael Brookで、先にCalifornia guitar Trioが前座と書いたがこれは間違いで、Michael Brookが前座をしていた。いろいろな機材に囲まれて一人黙々とギターを弾いている姿が目に浮かんできた。そんで彼はFripp先生の弟子でも何でもなくて、ずっとソロで孤高の活動を続けているミュージシャン。映画音楽などでも活躍しているそうだ。もっとじっくりと聞いておくべきだった。
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by kararachan | 2017-06-13 13:56 | 音楽 | Trackback | Comments(0)