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U.K Danger money

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 CDを買う時に今は輸入盤も、国内盤も全く気にしないで買っている。欲しいものがあればAmazonで検索して、自分の納得した値段のものを選んで買う訳だ。それがたまたま国内盤だったり、輸入盤だったり。でもそんな買い方が普通になったのはこの15年くらいだろうか。20年くらい前はまだ、amazonの日本法人なんか無く、amazon USAやもう名前忘れてしまったショップ(よく購入していたのにね)といった海外のインターネットCDショップから直輸入で購入していたものだ。
 20年前なら可能な限り国内盤のCDを買っていた。でも今は殆ど生産国は気にしていない。同じアルバムなら1000円ほど国内盤と海外版で違う事が珍しくないが、それだけ余分にお金を払う価値が見いだせない事が多いから輸入盤の方に手が伸びてしまう。それにオレの好きなバンドの場合、最近は国内盤が出ない事も珍しくない。洋楽事情はすっかり様変わりしてしまったと思う。

 小学生、中学生の時分は地元斜里に一軒しかないレコード屋の尾張屋さんで購入していた。高校生になり網走に通うようになる。そうすると当然網走のレコード屋さんに足を運ぶようになった。網走は斜里よりも人口で3倍大きな街で、商店街も大きく賑やかだ。レコード屋も1980年代当時は4件あった。一つはオレが一番通ったタカマ楽器店。次はふくや楽器店。次は今はもう無い地場デパート金市館のたしか3階にあったタケダ楽器網走店(北見が本店)。そしてレコード屋というよりもレコードコーナーと言った方が良いんだけども関西テレビの地下レコード売場(何故かプログレが充実していた。ELPの恐怖の頭脳改革はここで初めて見た)。今でも残っているのはふくやだけになってしまって、何だか寂しいが時代の流れだね。
 網走、斜里ともにこれらのレコード屋はもちろん国内盤だけしか扱っていない。国内盤よりも安価に買える輸入盤レコード店は憧れだったなぁ。初めて輸入盤専門店に入ったのは、修学旅行で訪れた京都。お小遣いの8割近くをレコードの購入に充ててしまったよ。輸入盤では見た事もない、存在する事すら知らなかった12inchシングルや編集盤があったりして、お店の棚を漁る時は狂喜したよ。


 そんな田舎の高校生だけども、輸入盤専門店は近くになくても、音楽好きの同級生達と輸入盤を通販で共同購入していたのだ。阿部というソウル好きの奴がいて、あるとき細かい文字がびっしりと書いてあるリストを学校に持ってきた。その細かい文字は全てレコードのタイトルと金額。中身を読むとロックからソウルの名盤珍盤の輸入盤が格安で買える。阿部がそれを持ってきたのは、みんなで買えばその分送料が安くなるからだ。
 その時に買ったのがU.KのDanger Moneyだった。King Crimsonは全て持っていても、U.Kまでは少ない小遣いの高校生にとっては、ちょっと手が出しづらい。雑誌のプログレ特集なんかを読むと必聴盤なんて書いてあったけれども、全く聴いた事のないアルバムを買うのはかなり勇気がいる。そんな時にこうした輸入盤の通販なら、気軽に買えるってもんだ。国内盤よりも1000円以上も安かったと思う。
 そのレコードは、いわゆるカット盤といわれているやつで、手元に届いた時に確認してみるとジャケットの背にちょっとハサミのようなもので切り込みが入れられてあった。当時の流通の事情で、こうやって傷物にして訳ありとして処分しなきゃならない事情があったんだろう。


 さて、そうやって安く購入したこのDanger Moneyなんだけども、いざ家で再生しようとしたら、とんでもない不良品だった。レコード盤のA面の外周から内周までピーッと一本の深いキズが入っていた。そのため再生すると定期的に「ポツ」「ポツ」とノイズが入る。そんなわけでA面の曲は全滅。最初から最後まで全部にノイズが。これはかなり気になるし、再生中レコード針が痛むんじゃないかと気が気でなかった。
 阿部曰く「これはカット盤というよりも不良品だから交換してもらったら」と言ってくれたものの、面倒くさいのと、なんだかガッカリしたのとで、そのまま放っておいた。
 レコードはカセットに録音して聴いていたのだが(レコードを減らさないため)、さすがDanger Moneyはノイズが気になって、期待に胸を膨らませてせっかく買ったのに殆ど聴かなかった。なんか余り聴く気になれなかったんだよな。良い曲が多いのにもったいない。それがトラウマになっていたのか、その後そのアルバムをCDで買い直したのはつい10年前。今でもこのアルバムを聴く度に、その時の「ポツ」「ポツ」というノイズの事を思い出してしまう。
 今でもそうだが、通販には危険がつきまとうのだ。

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by kararachan | 2017-08-25 16:46 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ヤングな村人達は本物のゲイ ビレッジ・ピープル

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 好きな音楽や文学などだけについて書いていたこのブログ。実はこっそりと微妙に路線を変更している。当時は好きでも今はそうでもないアーティストも取り上げて、自分の思い出の音楽やら小説について書くブログに変遷している。まあ、たいした違いはないが。

 さて、King Crimsonがどうだのこうだの、Joy Divisionがああだの言っていても、そういう音楽を聴く前はって言うと、ディスコモノが大好きだった。大きな声で言えないけど、否定出来ないオレの歴史って奴だよ。いまじゃ大人しそうな薄らハゲのおじさんも、実は中学時代はボンタンリーゼントだった、みたいな話だね。ね、豊ちゃん!(オレは覚えているぞ。ボンタンを極限まで左右に広げて廊下を闊歩していたその姿を。ああ、恥ずかしい)。まあ人はそういう段階を経て、ああいう小難しい音楽まで好きになったのさ。

 そんな子供の時に一番好きだったのは、なんといってもビレッジ・ピープル。ビレッジ・ピープルといえばY.M.C.A。何度も飽きずによく聴いたねぇ。何が良いって、あのすがすがしいほどの何も考えていなさそうな馬鹿能天気さだな。ビートに乗ってYMCAって歌っていれば、日頃の多少の嫌な事なんかみんな忘れてしまいそうになる。

 たかが洋楽ポップス曲なんだけど、子供にとってはこれが世界への入り口になっていて、男が男を好きになるなんて人が居るって事を知ったのもこのグループのおかげ。まだ赤ん坊を作る方法を知る前に、ゲイという人達がいるという事を学んだわけだな。田舎の子供は洋楽で自分の視界を広げた訳だよ。


 YMCAは1978のヒット曲だけど、翌年西城秀樹が歌番組で日本語にして歌っているのを見て、おっ、かっこいいねーと驚いた事がある。前年の洋楽ヒット曲をたまたま歌っただけかと思ったら、それが秀樹の新曲だというから更に驚いた。洋楽に日本語歌詞を付けて歌っても良いんだ! これがカバー曲との最初の遭遇である。
 ビレッジ・ピープルとしては続いてIn the NAVYがまたまた大ヒットして、オレもノリノリのノリスケさんだったのだが、これまたピンクレディーとか渋谷哲平がカバーして、それをTVで見たオレはずっこけたね。ピンクレディーはここまでやればあっぱれだから何も言えないが、渋谷哲平は見ていて気の毒だった。お茶だって2煎目までだ。
in the NAVY / ビレッジ・ピープル

 YMCA、 In the NAVYとヒットすると、当然以前の曲はどんなだろうと気になるのがオレ。当時、田舎のレコード屋でも在庫は豊富で、そんな時にはレコード棚を探ると現物がそこにあって、ろくに情報の入ってこない田舎ではそれがまた貴重な情報源だった。YMCAの前にはマッチョマンがちょっと流行っていた。マッチョマン、子供が喜ぶ語感だよな。そして見つけたのがデビューシングル。これが結構良い曲。

 その後、1990年代にPetshop Boysがカバーして大ヒットした、Go Westなど数々のヒット曲に恵まれるんだけど、この辺りからオレの嗜好はロックに急速に傾倒してくるんだなぁ。だって、やっぱりね。もうちょっと大人の世界を覗きたい訳だよ。

 ティーンエイジャ―の頃にはこういったポップスなんかは全く聴かなくなり、ロックの時代にオレは突入する。そんなディスコモノのレコードもみんな処分しちゃった。だけどもおじさんになると、じわじわと懐かしがってこういうものが聴きたくなるんだな。そう、子供のころに親が大晦日に、懐かしのメロディーなんかを泪を流して見ていたように。
 そんな訳で、オレの残業中のBGMの一つにビレッジ・ピープルがある。早く帰りたいよー、もうこれ以上仕事したくないよー、なんて云う時に彼らの歌を聴くと、無駄に元気が出てきて残りの仕事をとっとと片付けたくなるのは音楽の魔法だね。

 今の時代、幅広い世代で共有されているヒット曲なんてあるんだろうか? 幅広い世代どころか、クラスメートの間でも共有されているヒット曲なんてあるんだろうか? 好き嫌いはともかく、80年代ぐらいまでは幅広い世代で共有されているヒット曲が沢山あった。その曲を聴くとあの時代を思い出すなんて言う曲が。
 子供から青春時代にかけて、そんな歌を沢山持って育ってきた、オレみたいな世代はとても幸せな時代を過ごしてきたんだだなぁとつくづく思うのであった。

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by kararachan | 2017-08-23 16:04 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

サンタマリ〜〜〜ア! 何故か忘れ去られてしまったNewton Family

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 Newton familyってバンドを覚えている人がどれほどいるだろうか? 70年代の終わりのディスコブーム時に登場したハンガリーのバンド。いくつかのヒット曲を飛ばして、当時は日本でもそこそこ知名度が高かったと思う。多分オレが中学生の頃だと思うのだけれど(1980〜81年ごろかな)、NHKの歌番組に出て数曲歌っていたのをオレはみたよ。大人数で賑やかで、ちょっと西ヨーロッパの雰囲気と微妙にズレたファッションが印象に残っている。

 その当時は東西冷戦が一番緊張感溢れる時期なので、共産圏の情報なんて殆どないに等しいし、まして共産圏からの音楽バンドと言うだけでもかなり珍しかった。オレの子供時分ではニュートンファミリー以外に当時の言葉で云う「鉄のカーテン」の向こう側からやって来て活躍したバンドなんて聴いた事がなかったな。1990年代になってソビエトが崩壊してからソビエトのメタルバンドのコンピレーション盤なんかが日本に紹介された。共産党独裁下のソビエトでもヘビメタがあったんだなと驚いた事を覚えている。
 でも、このニュートンファミリーはそんなソビエトの崩壊よりも10年も前に、西側で歌い、活躍していたんだよね。当時の西側の人は共産圏の国全てがソ連に忠誠を誓っていて西側に対しては敵対していると云うイメージを持っていたと思う。だけどもオレのハンガリー人の数人の友達に話を聞いてみるとどうもハンガリーはソビエトの影響圏下にあったけれども、ソビエトに完全に忠誠していたというわけではなかったようだ。だからニュートンファミリーの様なグループが世界で活躍出来たんだろう。


 40歳ぐらいから、こんな子供の時に聴いた歌が無性に聴きたくなって、ニュートンファミリーのベスト盤みたいなものはないのかなと、探してみるのだが、今じゃ彼らの音を聞く事は非常に難しくなっている事に気がついた。全くアルバムが市場に出ていないのだ。それでも飽き足らず色々と探してみると、当時のディスコヒット曲のコンピレーション「キャンディ・ポップス」なんて云うアルバムをやっと見つけた。まったくおっさんが買うには相応しくないアルバムなのだが、この中にちょうど聴きたかった2曲が入っていて、10年前にはこれ以外にニュートンファミリーの歌を聴く事が出来なかった。今検索してみても状況は変わっていないなぁ。30年前に出た彼らのベストCDや当時のLPを高額なプレミア付きで買うか、キャンディ・ポップスを買うかのどちらか。残念ながらニュートンファミリーは再評価されていないんだね。
 
 彼らの歌には何かアジア的な風味がちょっとあって、そこがまた良い所なんだよな。それは当時のヨーロッパのディスコミュージック全般にも言えるんだけど。やはりこの味わいはアメリカのグループには全くない。例えばアメリカのビレッジ・ピープルの楽曲なんかいい例だと思う。
 
 まあ何はともあれ、この楽曲の何が一番好きかって云うと、「サンタマリ〜〜〜ア」って雄叫びがツボにはまったね。


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by kararachan | 2017-08-22 10:38 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

そうよみんな金曜日になってしまえ!! アラベスク

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 1970年代の後半といえばフィーバーフィーバーで、ディスコモノが日本を席捲していたに違いない。たぶん。そんな中でオレが一番好きだったグループの一つがアラベスク。今彼女達の写真を見ると、あんまりかわいいとは思えないのだが、小学校高学年の男の子にとっては、とっても大人のすてきなお姉さんに見えたなぁ。ピンク・レディー(色気無いしな)なんかには全く興味を引かれなかったが、アラベスク(色気はあった)はよく聴いていた。なんといってもハロー・ミスター・モンキーは、衝撃的に面白い歌だったね。出だしからノリノリ、そのまま甲高い声でハローハローだよ、子供には受けるわな。


 今になって知るんだけども、アラベスクはボニーMの成功に触発された音楽プロデューサーが二匹目のドジョウを狙って作ったプロジェクトだとWikiに書いてあった。そういや、ハローミスターモンキーのベーストラックなんか、ボニーMと殆ど一緒な作りだよな。演奏しているスタジオミュージシャンも一緒かも知れない。今のダンスミュージックのコンピューター演奏と違って、じっくり楽器の演奏を聴いてみると結構凝っていたり、センスが良くて聴いていて飽きないのだ。


 で、子供の時から聴いていたので今まで何とも思わなかったのだが、音をよく聴くとシンセサイザーが多用されているし、ベースはエレキベースだけれども、このベースラインは、このベースラインは、テクノポップそのものじゃないか!。
 ロックにイレクトロニクスを大胆に導入した先駆けアルバムの一つUltravoxのSystems of romanceなんだけど、これは西ドイツのConny Plankというプロデューサーが深く製作に関わっている。この頃の西ドイツは、もうディスコですら一部テクノ化(なんだか攻殻機動隊の一部義体化みたいだなぁ)してたわけで、それがロックに導入されるなんて、ごく当たり自然な成り行きだったんだろう。当然こういう技術は共有されている訳で。何といってもKraftwerkの国だから。

 さて、話はアラベスクに戻って、子供のころに慣れ親しんだアラベスクだけども、高校時代にはもう耳にするのも嫌な音楽になってしまった。そりゃあ毎日毎日繰返し聴かされればなぁ。というのも、高校一年の時オレは卓球部に所属していて、練習は広い体育館を各運動部が区割りして使用していた。一番広く体育館を使用していたのがバスケットボール部で、その連中の準備運動の30分位は何時もアラベスクのベストアルバムかなんかを、しかも大音量でかけっ放しにしていたのだ。多分リズム感を養う意味でディスコ・ミュージックを流していたのだろう。
 毎日毎日、月曜から土曜日まで連日ハロー・ハロー・ミスターモンキーだよ。部活後の下校時は気がつけば鼻歌でハローハローしていたよ。そんな一年間を過ごしてしまったため、もうアラベスクなんか二度と聴くもんかという気になったね。

 高校時分にもう一生分聞いたと思ったアラベスクだけども、数十年も経てば懐かしくなってくるもんだ。40歳前後から「懐かしの青春のアルバムをCDで買い直しムーブメント」が起きるんだけども、アラベスクも当然買ったさ。子供の時は歌詞なんか全く気にしていなかったけども、何を歌っているんだろうとある日歌詞が気になった。読んでてちょっと驚いたね。ハローミスターモンキーなんか、落ちぶれた成金を小ばかにする歌だったり、フライデーナイトなんか、金曜日の彼氏とのデートが待ち遠しいオトメの心情だったりして、ちょっと胸キュンな内容。
 女房との交際期間、彼女は千葉、オレは斜里の遠距離恋愛だった。女房とは婚約してからの交際が始まったんだけども、結婚までの半年間毎月1回彼女が斜里に来る日が待ち遠しかったよ。毎日が金曜日になればいいのに、というこの切ない気持ちはよくわかる。良い楽しい思い出だ。
 毎日毎日彼女が家に来たり、もしくは彼女のアパートに泊まって朝帰りしている発情モンキーの甥には、こんな恋の切なさなんか一生判らないんだろうな。切ない恋の思いでは一生の宝物だよ。時間と距離は愛を熟成させるのさ。

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by kararachan | 2017-08-21 11:19 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Message in a bottleで指のマッサージ

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 10歳の時にBoz ScaggsのHollywoodで洋楽に目覚めたとは言え、13歳頃までロックなんて、特に意識なんてしていなかったよ。そんなだから、当時よく聴いていたものは、ディスコ物(ソウルもディスコも一緒だわな)、ポップスが非常に多かった。今思えばオレの本格的なロックバンドとの出会いははThe Policeだった。

 この当時Rod StewartやらQueenなんかが流行ってたけど、何故か耳が吸い付いて離れない音がThe PoliceのMessage in a bottleだった。こんなブログを書くまで全く意識していなかったんだけども、オレの本格的なロックの始まりはThe Policeだったって事に今更気がついて自分で驚いた。
 どうしてこの曲が気に入ったかはちっとも判らないけれども、チャートを埋め尽くすディスコビートと正反対の、なんだか洗練されてスマート(和製英語の細いと言う意味ではないぞ)な感じが気に入ったんだと思う。それと曲の緩急が良いよな。


 その後も物凄く評判の悪い「De do do do de da da da ハ、アイノコトバダ」でお馴染、De do do do de da da da とか、高校教師と立て続けにシングルを買って愛聴していたなぁ。

 会社の人間と、しかもスナックでカラオケって云うのがオレにとっては最も面白く無いクソイベントなんでそんな時は殆ど歌わない。上司のはげオヤジに合わせて演歌なんか歌うほど柔軟性に溢れていない人間なんでね。音楽の趣味が違い過ぎるカラオケはとにかく苦痛なだけ。そんな時は泉谷しげるとかモップスなんか歌ってごまかしている。気の置けない友達たちとならカラオケも楽しいんだけどね。そんな時はMessage in a bottleはオレの定番曲だ。

 カラオケに飽き足らず、弾き語りが出来ればと思ってかなり前からMessage in a bottelのギターを特訓しているのだが、実はこの曲そんなに複雑な曲じゃない。だけども、あの印象的なイントロなんかは9thコードの連続なんで、オレみたいに手の小さい、指の短い、手首の堅い三大苦ギタリストにとっては至難の業。もう何ヶ月も練習し続けて、最近ようやっと音がつながって流れるように弾けるようになった。でも、指の股、手首が疲労骨折しそうだ。指の筋力手首の柔軟性を鍛える大リーグ養成ギプスが必要だ。
 あと指が開くように、TVを見ている時、女房が運転する車に乗っている時なんか、左手の小指と薬指で太ももを挟んで指の間を広げるトレーニングなんかしていたりする。でもそんなトレーニングばかりじゃ、指がおかしくなるので、Massageが必要だな。
 さて、何時になったらこの曲を不自由なく語り弾き出来るようになれるものだか。Andy Summers師匠の教えを聞いて、練習に励むのだ。
Andy Summers師匠のギターレッスン。パート5まである

 それとRoxanneはキンキン声師匠のStingから直接指導してもらった。といってもMacのおまけについている音楽ソフトウェア、Garage Bandのアーティストレッスンなんだけどもね。500円でStingから曲のひき方を教えてもらえる。それにしても便利な世の中だ。
Roxanne / The Police

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by kararachan | 2017-08-19 17:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Philip K Dickの「高い城の男」 高い城とは何を示唆しているんだ?

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 去年から第何次だか判らないオレのPhilip K Dickブームが巻き起こっていて、この1年で10冊以上彼の本を読みまくっている。没後40年近く経つと言うのに、ここ数年何冊もの未邦訳本や新訳本が出版されている。そんな『新作』を読んでいると、そういやあの話はどうだったっけ? みたいな事でついつい昔1度読んだっきりの作品まで読み返してしいる。それにしても没後35年に新刊が出版される作家というのも凄いものだ。

 つい先日も20代半ばに読んだっきりの「高い城の男」を読み直した。この「高い城の男」はアメリカではこの期に及んでTVドラマ化されていて、アメリカドラマお得意のシーズンモノになっているようだ。現在シーズン2まで放送されているとか。ちょっと見たい気がする。 
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 「高い城の男」はPhilの代表作のひとつといっていい作品で、話の展開、プロットの破綻の無さ(といってそのプロットの破綻なんかPhilのファンは全く気にしていないのだが)などから彼の最高傑作とも云われている。
 物語は第二次世界大戦で日本とドイツが連合国に勝利したという架空のアメリカが舞台にすすむ。数多くの登場人物が出てくるのだが、それぞれの人物が一堂に会する事は最後までない。だけどもお互い見ず知らずの個々人が話しの中で何処かで何かのつながりがあって事態が進むいう、なかなかこった構成の話になっている。お互いがお互いを知らないのに、各人の行動が有機的にひとつの物語を紡いで行く。

高い城の男シーズン1のトレーラー
なんだか面白そうじゃないの。

 物語はアメリカと日本の両陣営に分断されて統治されたアメリカの人々の生活が描かれている。そんな抑圧されたアメリカ人の間でアングラ小説として秘かに読まれている小説が「イナゴ身重く横たわる」。なんとこの作中作品は、アメリカ側が日本とドイツに対して勝利したという架空の世界を描いた作品なのだ。「高い城の男という」架空の世界で、架空の(いや本当の)世界の小説がベストセラーになっているというややこしい入れ子構造、もうこの設定で頭くらくらしてくる。こんな倒錯した作品の構成を考えつくのは、Philならではだと思う。

 作品の中で重要な役割をしているのが「易経」。日本に占領された地域のアメリカでは、日本からもたらされた易経で人々がこれからの出来事を占うなんてシーンが描かれている。占領者が被占領地に何かを押し付けるわけだ。実際の日本の場合はアメリカの軽薄な映画やTV、コカコーラに代表される毒物。それらを私たちは日本の文化より優れたものとして崇めてきた訳だよ、この戦後。そう考えたら中国伝来とはいえ、易経をアメリカにもたらすなんて、この架空の世界の日本の統治は決して悪いものとは言えないんじゃないかな。

 SFといっても色々なジャンルがあるわけで、宇宙人や飛行船が出てくるものだけがSFじゃない。現実と似てはいるけど、何か違う世界を描くというのも立派なSF作品。Philの作品で一番だとオレは思っている「A scanar darkly」(邦題:暗闇のスキャナー。もしくはスキャナー・ダークリー)なんかも、覆面麻薬捜査官が破滅しながら、麻薬の供給源を突き止めるという話だったりして、けっして科学的なSFじゃない。「Valis」に至っては宗教小説だし。でも決して主流小説じゃないからSFなんだろう。

 Philの作品のプロットではお馴染のパターンナんだけども、この「高い城の男」も物語の最後の最後で、たった一文で、それまで展開してきた話を全てぶち壊しにしてひっくり返してしまう。Philファンとしては、まさにこれこそPhilip K Dickの醍醐味。もうカタルシスを覚えるね。

(もしこの作品を読もうと思っている人は、ここから下は読まない方が良いかも。作品のオチを書いています。といって、オチを知っていてもこの作品は充分に楽しめるのだが)

 30年ぶりぐらいに読み直したこの作品だけども、当時のオレはまだごく数作程度しかPhilの作品を読んでいなかった初心者だった。正直、この小説はあんまり面白い話じゃなかったよなというのが当時の素直な感想。だから長らく読み返していなかった。ヒューゴ賞を受賞しているこの作品だけども、単なる架空の世界を描くつまらない小説だと思っていた。たかだか賞なんて、出版社が本を売るための宣伝に過ぎない。売るための話題作り、ステルスマーケットじゃないか、と。
 ところか今回、読み進めるうちにどんどん物語の面白さ、構成の面白さに夢中になった。そしてカタルシスがやってきた。
 物語の最後で、作中に登場する「イナゴ身重く横たわる」の作者が易経で作品について占いをたてる。そしてそこに出た卦が語るのは、その本に書かれた内容こそが現実だと告げる。なんと戦争に負けたのはアメリカじゃなく、日本とドイツだと。じゃあ、この作品の世界はなんなんだ? 
 Philの作品は他にも、最後の最後で全てがひっくり返るなんて事が多くて、彼のファンはこんどはどんなちゃぶ台返しをしてくれるのだろうと期待しながら読んでいるのだ。それにしても、この「高い城の男」のどんでん返しを読んだ時は、あまりの見事さに拍手喝采してしまったよ。

 「イナゴ身重く横たわる」の作者はその邸宅から高い城の男と呼ばれているが、実際に住んでいるのはちょっと広い程度の家だった。高くもなく城でもない。作品のタイトルにもなっているのに、これはいったいPhilは何を言おうとしているのだろう。
 この謎をオレ「広い庭の男」が考え込むのであった。こんな些細な事が気になってしまうのもファンて奴で、これも小説を楽しむ醍醐味なのだと思う。

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by kararachan | 2017-08-18 10:25 | 書籍 | Trackback | Comments(0)

極北の死なないNirvanaは、ハルカトミユキと云う

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 Nirvanaを初めて聞いた時は、正直ピンと来なかった。中途半端なハードロック、パンク?というのが正直なところだった。音楽仲間の大塚君は物凄く彼らの音にのめり込んで、オレに聴け聴けというのだが、ちっとも良いと思わないのだ。その転機が訪れたのはCurt Cobainの自殺。最新のロック27歳伝説。彼の自殺でやっと彼らの音楽がどういうものかオレにも理解できた。彼の怨念のような音楽に込めた念は凄いものがあったなぁと今にして思う。それからしばらく、「死」が頭から離れなかった。彼の死に衝撃を受けたミュージシャンも少なからずいたんだろう。大槻ケンヂは「レティクル座妄想」という死の臭いたっぷりの作品を作り上げた。

 だけども今じゃもうNirvanaなんかもう聴かない。「死の束縛」から開放されたんだ。っていうか50歳になれば死なんか直ぐそこにある現実だ。
 John Lydonがこんな事を言っていて、オレも同意見だな。「ニルヴァーナみたいな連中がパンク・バンドを自称するなんて見当違いもはなはだしい。表現の全てを自虐的ヒロイズムから出発させるなんて、これほど不毛で愚昧で無駄な芸術形態が他にあるかってんだ」。破壊的と言われるが実はJohn Lydonは物凄くクリエイティブな男の一人だとオレは思っている。クリエイティブな3人のJohn。Wetton、Foxx、そしてLydon。音楽はとてもクリエイティブな行為なんだとこの年になってつくづく思う。

 大槻ケンヂの番組に登場して知ったハルカトミユキ。かわいらしい姿とは裏腹に、その作り上げた音世界は残酷に美しく陰鬱だ。なるほどNirvanaを敬愛していると公言しているのも頷ける音と暗黒さだ。だけども.....。
その日が来たら / ハルカトミユキ


 人に興味がないと公言する彼女達はいったい誰に向かって歌いかけているのだろう? 彼女達は自分たちの存在を、歌わなければその存在を否定されて、無いものにされてしまわないように、自分たちの存在を確かめるために歌っているように思える。自分たちがいるからこそ歌い続けるのだ。Curtとは逆なのだ。彼は自分を否定するために歌っていたのだ(Cortney LoveがCurt殺しの主犯だと言う説もオレは読んでいるが。あえてこう書く。尾崎豊、Curt Cobainの共通項、妻が草加煎餅学会員)。

 彼女達の歌に「絶望ごっこ」と言う曲があるが、ハルカトミユキは何にも絶望していない。人には何も期待していないからだ。だからこそ絶望ごっこ。期待していない人に、絶望なんかありっこない。ここに極北の絶対死なないNirvanaが誕生した。

絶望ごっこ/ ハルカトミユキ

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by kararachan | 2017-08-17 13:31 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Queen Victoriaはいるけど、Kingは何処へ

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 夕食後は女房と何時もお茶をしながら取り留めの無い話をしている。先日女房の口から出た話に、オレは思わずビクッと動きが止まってしまった。オレにとっては忘れて欲しい、辛い記憶の話。オレの女房はなんでも忘れてしまうんで(結婚記念日もオレが言わないと忘れてしまうくらい)、てっきりその事は忘れていると思っていた。

 それは二人の結婚式の事だった。うちらの結婚式は人前式を選び、式と披露宴がそのまま続く形式をとった。その結婚式の入場曲をどうしようか、二人であれこれ候補を出して、結果として入場の曲はThe KinksのVictoria。これはオレが、愛してやまない曲。そして退場の曲は、Carole KingのTapestryに決めた。それは結婚式前日の事で、オーディオセットの前で曲を聴いてお互いに最終的に確認したのだ。

 さて式当日。準備万端調えていざ式場へ。北海道では一般的な結婚式では発起人会をつくり、当日はその人達にあれこれ準備をしてもらうのだが、オレ達の場合は特にそういう事はせず、ただ兄弟・友達に手が回らない事を頼む程度にした。式場の係員から、入場曲と退場曲のCDをちょうだいと言われて、私はそのディスクを持っていった。入場はこのCDの1曲目。退場はこっちのCDの11曲目と指示をした。しばらくするとその係員さんがまた私のところにやってくる。「あのー、この退場曲のCDですけど、ケースだけで、中身が入っていないんですけど.....。」。オレは真っ青になったね。よりにもよって、女房の選択した曲が流れない。オレは思わず家に取りに行こうかと思ったけれども、往復30分以上かかる。これじゃ式に間に合わない。女房に謝りに行くと、彼女は着付けで忙しく、「忘れたんだからしょうがないよ。なんでも良いよ。」とちょっと怒った表情で云った。オレは係員さんに、「曲はまかせるからなんでも良いので、お願いします」と、頼んだ。


 さて、式も全て無事終わり、問題の退場のシーンが訪れた。曲が流れ始める。えええ、なんじゃこれ、ラップが流れてくるぞ! しかもあのクッサーイやつ。「♫一生一緒にいてくれや」。この当時流行っていたラップのヒット曲で、うちらには最も縁遠い選曲。ううう、オレはコケそうになりながらも、参加者が作る人の輪をくぐって退場したよ。きっと顔は嬉しいような、泣きそうな、複雑な顔をしていたと思う。きっと会場にいた人達は、うれし泣きを我慢していると受け取ったに違いない。ああああぁ。人生一つだけ、やり直せるなら、結婚式前夜にもどり試聴したCDをケースにちゃんと戻したい。

 この事は、オレとしてはもう思い出したくない悲しい思い出で、これまで女房との会話でも持ち出さないようにしていたのだ、この10年間。10年間1度もその事を女房は語らないので、彼女はすっかり忘れていると思い、しめしめと思っていたのだが。その話が女房の口から唐突に出てきた。オレは思わず、顔をしかめ「その、その話はやめてくれー」と言ってしまう。女房は「なんで」とあっさりしている。オレはてっきりまだ女房が怒っていると思っていたのだ。この10年間ずっと。
 女房曰く、「怒ってなんかいないよ。そんなこと未だ気にしていたの?」。

 オレは失敗って、ずいぶん後まで引きずるタチなんだよな。たとえ女房からこういわれても。もう今では笑い話になってしまうこんな話でも、そういう話をする時は胸の何処かがチクリと痛む。

 それにしても、「一生一緒にいてくれや」だよ、あああ。あんな歌じゃうちらヤンキー夫婦みたいじゃないか。何が恥ずかしいって、あの曲をうちらが選んだと思われるのが一番恥ずかしい。

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by kararachan | 2017-08-16 22:09 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Rebert Fripp先生と素晴らしきボーカリストたち6 Cheikha Remitti

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 1993年から96年の間オレは渋谷の会社に勤務していていたんで、仕事帰りは頻繁にHMVやWAVEなどに立ち寄っていた。WAVEって今はもう無いんだってね。暗い渋谷店の雰囲気が懐かしいなぁ。The Leningrad Cowboysが来日時にWaveの店内でミニライブをやったのを見に行った事があった。悪男なんか土下座して謝りそうな、ホントに凄いリーゼントだった。

 仕事帰りに丹念にCD売場をチェックしていると、たまに面白いものを見つけるからますますやめられない。いつもは通り過ぎるHMVのワールドミュージックコーナなんだけども、一つのポップが目に飛び込んできた。そこにはFlea、Robert Fripp等豪華ミュージシャンが参加と書いてある。そこには見た事のないしわしわの婆さんの写真が添えられていて、なんだこれと、思わず手に取ってしまった。それはCheikha Remittiと云うアルジェリア歌手のSidi Mansourというアルバム。オレはこの時初めて知ったが、ライーと云うアラブ音楽のジャンルがあるらしい。それ以外の情報は何もないけども、Fripp先生にChillipeppersのFleaが共演ってどういう事だよ、しかもアラブ音楽! という訳で躊躇無くそのアルバムを手にしてレジに向かった訳だよ。


 基本的にオレは温かい地方の音楽は一切興味なし。アフリカだの中東だの沖縄だの、温かくはないが中南米の音楽もオレの興味にはない。コンドルなんか勝手にどっかに飛んでいけってなもんだ。それはともかく、こんなあり得ない組み合わせの音楽ならそれがなんであれもちろん聞いて見たい。たとえブームでも、Rbert Frippが参加していれば聞いてしまうだろう。

 Fripp先生はこんな感じで、予期せぬところでギターを弾いているのが面白い。このブログでもオレが知る限りのRobert Frippの活動のごく一部を、Fripp先生シリーズで取り上げていたけれども、誰かその全てを調べ上げてデータにしている人はいないんだろうか? いやFripp先生のリスナーと言うだけで変人認定だから、絶対に世界の何処かに7人はいるとみた。オレも2000年ごろまではずいぶん丹念にFripp先生がたった1曲の参加したって云うだけでCDを買っていたりしていた。だけどもアルバムそのものが良くなければ聞かないので、いつしかそういう音楽の買い方はしなくなってしまった。


 さて、この1994年に発売された、Cheikha Rimittiの‎Sidi Mansourだが、聞けば判る通りもろ中東の音。複雑なリズムに、アラブのメロディーが、くねりくねり奏でられる。Fleaのベースはこんな中東の音楽にも全く違和感が無いと言うのが面白い。そしてFripp先生の複雑怪奇なソロがからんでくる。かなりスリリングな展開だ。いったいどんな経緯で、彼女のレコードにFripp先生が参加する事になったのだろう? この当時ロッキンオンは読んでいたのだけれど、あの雑誌ではこの手の情報はとても弱く、店頭でこのCDを見るまではこんな事は全く知らなかった。たぶんミュージックマガジンなら取り上げていたのだろうけれど、あの読者を見下すような雑誌のスタンス、それとあの雑誌を好む奴がそろいも揃ってゲス野郎ばかりだったのでオレは読まない事にしていたのだ。

 この異色の組み合わせのアルバム、最初は面白がって聞いていたんだけども、やっぱりオレには単調で直に飽きてしまった。同じ単調な繰返しでも何故かインド音楽なら楽しめるのに。歌詞はただハリー・クリシュナを108回繰り返す曲、しかも10数分もする曲なんだけども、そんな曲でもインド音楽なら最後にはノリノリになってしまうのだが、これはきっとオレの前世に何か関係があるに違いない。そういう事にしよう。

 それはそうと、この婆さん2006年にパリで心臓発作で83歳で亡くなっているそうだ。しかも死のその2日前には4500人の聴衆の前でライブを行っていたとか。面白いミュージシャンが世界にはいるが、こういった切っ掛けでもなければ偏狭な耳のオレには届かないなぁ。

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by kararachan | 2017-08-14 14:35 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

買わないつもりでいた「溜息の断面図」 ハルカトミユキ

 チャットモンチーは2人だけどもロックバンドと見なされている。ハルカトミユキも同じく2人組だが、フォーク・ロックユニットといわれている。ユニットとバンドの違いって何だろう? オレはハルカトミユキも間違いなくロックバンドだと思う。


 6月28日に発売になったハルカトミユキの3ndアルバム「溜息の断面図」は、発売前からとても気になっていた。でも今回は買わない事に決めていた。本人達のこのアルバムに対する意気込み、曲に込めた思いを読んでいると、あまりにダークすぎて、聴くにはヘビーすぎると思っていたからだ。ハルカトミユキが軽く楽しい訳がない。最近はそういう負の感情を込めたものは聞かないようにしているのだ。
近眼のゾンビ / ハルカトミユキ

 なので、PVも見ないようにしていたのだが、ついつい見てしまった。1曲聞くと次々と続けて聞いてしまうしかない。やはりどの曲も重くダークで、ハルカトミユキの2人じゃなきゃ表現出来ない世界。すっかり曲の魅力に引きずり込まれてしまって、もうこれは買って聞くしかないなって思っている。ああ、またしてもこの2人にやられてしまった。
わらべうた / ハルカトミユキ

 重く、ダークで、ネガティブと言えば、「この腐敗した世界に堕された、こんなもののために生まれたんじゃない」なんてほざいている歌手がいた。オレに言わせりゃ、「お前みたいなのが居るから、この世は腐敗した世の中になるんだよ。お前こそが腐敗だ」って言い返したいが、ハルカトミユキの世界はそういうものじゃない。この世界にたった独りぼっちの自分がいる、その事を確かめるために歌を歌っている彼女達が居る。腐敗を作り出すのは自分だ。そしてハルカトミユキはこの世を腐敗させようなんて少しも思っていない。それが腐敗した歌手とハルカトミユキの大きな違いだ。
終わりの始まり / ハルカトミユキ

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by kararachan | 2017-08-13 11:52 | 音楽 | Trackback | Comments(1)