<   2018年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

もしあの時やっていなければ、きっと一生やらなかった事を後悔していたでしょう

d0337302_23171076.jpg
 「もしあの時やっていなければ、きっと一生やらなかった事を後悔していたでしょう」。

 このブログを読みに来てくれている皆さんには、そんな事がなかったなら幸いだと思う。オレも1つだけ、未だにやらなかった事を後悔している事が有る。それは29歳の時の事。その頃のオレはベターホーム協会と云う財団の職員だったのだが、そこを辞めて北海道に戻る事にした。その当時、誰にも内緒で秘かに計画していたのが、ワーキングホリデーでニュージーランドに行って見ようと考えていた。あの頃はは良いガイドブックやネットの情報なんてそれほどなく、あるのは「地球の歩き方」ぐらいだった。その本を眺めてはニュージーランドに行く事を夢想して楽しんでいた。
 いざ仕事を辞め、お金も十分に蓄え、北海道に戻り、あとは実行を決断するだけと云う段階で、怠惰と怯懦に負けてしまった。今も努めている印刷会社で人を必要としていると云う話を聞いた。今ここで仕事を得なければ、この田舎でまともな仕事につく事が出来無いのでは無いか? 一年後にワーキングホリデーを終えて帰って来たのでは、この仕事につく事が出来無いんじゃないか? そんな恐れと、1人海外で暮らすと云う怯えに負けてしまい、ワーキングホリデーの事はあっさりと諦めてしまった。
 これまでの51年間で、小さな後悔はたくさん有る。「あああ、もう馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」と自分の頭を左右から叩きたくなる事はたくさん有る。でも心底、「やっぱりあの時やっておけば良かったのに‥‥」とため息とともに思い出すのは、このワーキングホリデーの事だけ。
 その後2004年に斜里でお世話になった英会話の先生を訪ねてニュージーランドに行く事が出来た。だけどもそう長く会社は休めず、たった6日間。ニュージーランド滞在中に頭をよぎっていたのは、このままこの国でしばらく暮らしてみたいだった。

 今のこのご時世、51歳の男が今後何歳まで生きられるものか解ったものじゃない。80歳、90歳まで果たして毒だらけのこの国で、俺達の世代が生きられるとは思えない。長くてもせいぜい70歳が良い所だろう。実際こんな日本の辺境の田舎町なのに、身の回りで60歳代でぽっくりと死ぬ人がとても多く見受けられる。オレの会社の前社長だって61歳で死んじまった。そう考えたらオレの残りの人生なんか、あと長くて19年が良い所だろう。雇われ人として、人の都合で毎日くだらないチラシの作成に追われて人生を終えるのか? 残り19年、どうせなら楽しんで人生を終わらせてしまいたいと思う。

 そう考えたら、前々から叶えられっこ無いと諦めていた夢想を、どうせなら残り少ない人生を夢を追って見ようじゃないか。それはイングランドに留学する事。60歳を目処に、イングランドの大学に留学しよう。あこがれの海外生活。少なくとも1年はイングランドで暮らしたい。どうせなら目標は大きくだ。実際には諸事情で実行できないかも知れない。だからといって、何もせずに終えてしまったら、またやらなかった事を、死の間際に後悔するだろうな。

 自分のこれまでの人生を振り返って、これで良かったのか? なんて思った人は、1度何が本当に大事な事なのか深く考えてみると良いと思う。ただ稼ぐために、他人の期待に応えて生きるために働く事は楽しいのか? そんな事のために生まれてきたのか? もっとワクワクさせるものが、例え歳をとったからといって無いとは云えないだろ。いちど人生を見つめ直して、自分を再起動させて見たらどうだい?

 そんな事を思った人は、若い人はもちろん、歳をとった人にも、是非このクリス・ギレボーの、


を読んで見る事をお勧めする。

 あの時やらなかった事を後悔したまま死んでしまいたいかい?

[PR]
by kararachan | 2018-04-30 23:17 | 書籍 | Trackback | Comments(2)

The war is over

d0337302_10092486.jpg
 本当に朝鮮戦争が終結するかも知れないというのに、蚊帳の外のくせにあれこれ難癖付けているこの日本て国は情けないね。とくに蚊帳の外のアベが情けない。こんなやつ早く塀の中に収監してしまえばいいのに。馬鹿なアメリカのケツなめ右翼のせいで、日本はアメリカ軍の占領下だ。日本は未だに戦争が終ってないって事だ。

 日本はもともと朝鮮戦争の部外者(朝鮮戦争は国連軍=アメリカ軍と北朝鮮の戦争だ)。アメリカ軍の占領下にある敗戦国が口を出せる案件じゃない。ところがアホがあれこれほざくもんだから、この平和への流れにすっかり乗り遅れて、国際的に無視されっ放し。アホ。日本人でいる事が恥ずかしいね。

 朝鮮半島の完全非核化って言葉なんだけど、みんな勘違いしていない? 北朝鮮の核ミサイルの事ばっかり気に留めてるけど、「朝鮮半島の」だよ。と言う事は、アメリカ軍の核も当然対象って事だよな。

 アホはこのせっかくの和平に水を差すな! と声を大にして言いたい。

[PR]
by kararachan | 2018-04-28 10:10 | forward | Trackback | Comments(3)

ハナノユメと今朝の夢

d0337302_17023548.jpg
 チャットモンチーの2人はオレの夢の中によく出て来てくれる常連さんだ。どうもオレの夢の中の斜里町の何処かに住んでいるらしい。こないだは斉藤由貴さんが初登場した。斉藤さんの長年のファンとして、初めて合う由貴さんに緊張して震えちゃったね。
 さて今日はそんな夢の話。今朝こんな夢を見た。

 家でくつろいでいると、玄関のベルが鳴るんで出ていってみた。そこにはなんと、20年前に一寸の間だけ付合った元彼女のN子が居るではないか。しかも彼女の姿はその20年前のまま、長靴にツナギの格好をしている。彼女は牛飼いだった。別れてもう20年。そして最後に街で偶然出くわしたのが10年前。
 そんな彼女がなんで突然オレの所に来るんだよ、きっと嫌なお願いでもしに来たんだろうと思って動揺していると、「こんどの町議会選挙に立候補したから、応援して欲しいの」と云ってオレにリーフレットを渡す。「ええ、それホント?」突然の事に対応出来ずおろおろしているオレ。「まだ沢山回らないきゃならないから、じゃあ」と云って素早く彼女は去って行った。N子は確か斜里を離れて、その後北海道も離れて、東北に渡ったらしいと風の噂で聞いたのだが。何でまだ斜里にいるんだよ、しかも町議に立候補したって、いったいどうなってんだ!

 そそくさと出ていったN子にあれこれ聞こうと、オレは追いかける。玄関を開けると、そこは賑やかな街中の通りで、車がゆるく往来していた。そうすると遠くからなんだか聞き覚えのある歌が大音量で流れてくる。「薄い紙で指を切って〜〜〜」と歌っていた。
 この曲は、チャットモンチーのハナノユメじゃないか! 何だいったい? と思っていると、オレの目の前に選挙カーがゆっくりと走ってくる。誰だろうと思ってその車を見ると、そこには「町議会議員候補 髙橋クミコン」と書いているではないか。え、クミコンが町議に立候補したの!? 目の前の車の上から手を振る候補者を仰いでみた。間違いなくそこには、高橋久美子がマイクを持って立っており、「髙橋クミコン、髙橋クミコンをお願い致します!」と連呼している。「声援ありがとうございます。髙橋クミコンを宜しくお願い致します」。オレはとっさに車にかけより、「クミコ〜ンガンバレー」と手を振っところで、オレは目を覚ました。

 オレの夢の中の斜里町の選挙、クミコンは当選したのだろうか? そしてN子は? この続きはいったいいつ見られる?
 オレの夢の中の斜里の出来事は、どんどん続いてゆく。


[PR]
by kararachan | 2018-04-23 17:00 | forward | Trackback | Comments(0)

大村賢司の「春がいっぱい」でも聴いて、気持ちだけは春になるぞ

d0337302_12052901.jpg
 4月ももう半分が過ぎた。それでもまだ雪が日陰の部分には残っている。農家の畑はまだ凍結していて農作業に入れないそうだ。今年は雪が一寸少なかったから、畑の深くまで凍れたようだ。
 今日は4月14日。1年前にこんな文章を書いていた。今年もクドリャフカちゃんの悲劇を思って泪する。こういう犠牲は忘れてはいけないと思う。人間て勝手だよな。


 まだうちの庭にはクロッカスぐらいしか花が咲いていないが、北海道のオホーツクも、もうすぐ春がいっぱいになる。「春がいっぱい」といえば大村憲司さん。YMOのサポートギターで一般にも知られるようになった彼なんだけど、本来はジャズ、フュージョンの世界の人。で、YMOとの交流で生まれたアルバムが「春がいっぱい」。彼本来の音楽性とずいぶんかけ離れた、ポップなロックアルバムに仕上がっている。これが凄く良くて、オレは中学生の頃からの愛聴盤だった。YMOのどのアルバムよりもこのアルバムを聞いているなぁ。

 この「春がいっぱい」は1981年に発表された。当時のオレの周りの連中はみんなYMOに夢中だった。オレなんかもYMOの真似してもみ上げを剃って「テクノカット」になんかしちゃったよ。多分斜里中学で一番最初にテクノカットにしたのがオレだと思う。何でも誰かが先駆けるド阿呆がいないと、物事って普及しないんだよね。その後男子はみんなもみ上げが無い時代がしばらく続く。

 そんなYMOブームのさ中に出されたこのアルバム、次から次へとYMO本体に、メンバーのソロまで出るもんだから、小遣いの少ない中学生にはなかなか大村憲司のアルバムまでは手が回らない。良いアルバムだと聞いてはいたけれども、聞く機会がなかったんだよな。
 そうしたら、小学生の頃から博物館講座なんかで親しくしていた1年先輩の加藤成史さんがそれを持っていて、貸してくれると言う。この時このアルバムを貸してもらえなければ、きっと一生大村憲司さんの音楽は聴く事が無かったかもしれない。いやオレが聞くべき音は、向こうからやって来るだね。

 レコードを貸してくれた加藤成史さんっていう人は、見た目は飄々として全然ガリ勉タイプじゃないんだけど、物凄く勉強のできる人だった。脳の作りがオレとは違うなんて思った初めての人だよ、彼は。彼は当時北海道の最難関、函館ラサール高校に進学して、その後東京の大学を卒業。そしてNHKに就職。今もNHKでアナウンサーをしている。加藤さん元気かな。こんど彼のラジオ番組を聞いてみようと思う。早朝に番組を持っているんだよね。たまには斜里に帰ってくる事が有るんだろうか?40年ぶりに再会したいものだ。


 この「春がいっぱい」というアルバム、YMOのメンバーが全面参加なんで、まさにYMOっぽいテクノばりばりの音なんだけども、何と言ってもジャズ・ギタリストのアルバムです。大村憲司のギターが前面に出てくると、途端に大村賢司の世界になってしまう。このアルバムを初めて聞いた当時は、とてもテクノしていると思ったんだけどね。改めて聞き直すと、とてもポップなロックアルバムだよなこれは。

 アルバム1曲目はインストなんだけど、雰囲気としてリードギターをキーボードに置き換えたらYMOになっちゃうのかな。そんな感じの曲がIntensive Love Course。春っぽい、わくわくする曲で、清水靖晃のサックスが良い。もうYMOファミリーが総出で、寄ってたかって大村賢司のアルバム制作に協力したって感じだな。

 どの曲もすきなのだが、4曲目のFar East Manは、何だかレイドバックした曲の雰囲気がとても心地良い。大村さんものびのびギターを弾きまくって、そして歌っている。ちっとも上手じゃないのがいいね。
 Andy Summers師匠も1stアルバムで歌声を聞かせているけど、はっきり言って下手。それで懲りたのか、それ以降は歌わなくなってしまったんだけど、その下手さ加減がいい味を出していて、そのアルバム「XYZ」も何度も聞きたくなる作品なんだよね。


 5曲目のKnife Lifeが一番テクノポップしているかもしれない。初期のUltravoxの様に、エレクトロニクスとロックギターが融合していて、オレにはもう堪らなく好きなサウンドだな。前曲から打って変って曲の緊張感がとても良い。この曲をyoutubeで探したら、でてこなかったよ、残念。


 そんで7曲目のThe Defector。オレはこの曲がこのアルバムのベストだと思う。作曲は髙橋幸宏かぁ。そういわれてみれば、幸宏っぽいメロディーだ。あたまから軽快なシンセサイザーで始るこの曲なんだけど、大村さんのギターのバッキング・ギターも非常に聞き応えがある。丁寧で繊細なギターだよな。ギターの音だけ集中して聞いちゃうよ。ああ、こんなギターが弾けたらって思う。これまたYoutubeには音が見つからない。

 髙橋幸宏のドラムが炸裂する、テクノパンクのInaudibleに間を開けずにMapsに突入するのだが、この曲80年代前半のYMOのツアーでも良く演奏されていたんで、YMOファンにもお馴染の曲だ。これまた幸宏の曲か。もうNew Europeans時代のUltravoxなんか土下座して謝っちゃうような音だよな。テクノとニューウェーブが正面からぶつかってキメラになっちゃったって感じのこの音。それにしても、大村さんのギターがかっこよ過ぎる。神経質に細かくリズムを刻み、曲の緊張を高める、だけども歌は何だか下手で緊張が足りない。その温度差が又良い。
 ギターのカッティングと言えば、渋谷陽一がヘビメタギタリストはGang of fourのギターを聴いて出直してこいなんてラジオで言っていたのを突然思い出した。ちょっと待ってくれよ、Gang of four? あんな下手くそなカッティングは、この大村さんのカッティングを聞いて、修業し直せと言いたいね。これぞカッティングギターのお手本だ。


 Mapsで散々暴れたと思ったら、最後はのんびり「The Prince of Shaba」。それまでの緊張が嘘みたいに、春の桃源郷で花満開の花畑で大村さんがギターを弾きまくっているようなこのインスト曲でアルバムを〆る。深く歪んだギター音のソロが堪らなく良いな。

 そんなわけで春なんで、大村憲司さんのこのアルバムを思い出した。これってやっぱり時代が産んだ1つの奇跡だと思うな。もともと大村さんはジャズ畑の人で、このアルバムの前に発表していたアルバム「Kenji shock」なんか、Los Angeles録音で、サポートミュージシャンはTOTOにLee Ritenour。もろアメリカンフュージョン。なのにその次に作ったアルバムは、YMOのお手伝いをした事から、それまでの芸風と全くかけ離れたポップでロックなアルバムになってしまった。人との偶然の出会いがこのアルバムを産んだ。いや、このアルバムを生み出すために、YMOとの出会いが有ったのかもしれない。

 個別の曲は無くても、アルバム全体が有ったのでリンクを張っておこう。これは80年代の傑作アルバムの1つだ。

[PR]
by kararachan | 2018-04-15 00:49 | 音楽 | Trackback | Comments(0)